旧満州地区の中国東北部には、当時の日本が建てた建築物が今でも多く残っている。中国メディアの快資訊はこのほど、吉林省長春市は「日本人が建設した公園がある」と紹介する記事を掲載した。


 長春市は、1932年から1945年まで満州国の首都とされ、当時は「新京」と呼ばれていた。記事は、長春市の歴史はそれほど長くはなく、かつては小さな村だったのが清の時代から徐々に大きな町になったと紹介した。その後、満州国の建国により日本が長春市のインフラ整備を進めたが、これには公園建設も含まれるという。

 記事が紹介した日本が建設した公園とは「南湖公園」だ。湖だけで約92万平方メートルもある非常に大きな公園だが、なぜ日本は南湖公園を建設したのだろうか。記事は3つの理由があると紹介した。


 その1つが「洪水を防ぐため」だ。長春市内にはかつて多くの細い川が流れていたが、大雨のたびに氾濫していたという。そこで、洪水を防ぐために大きな貯水池を作ることにしたと説明している。2つ目は都市計画の一環として市民の憩いの場とするため、3つ目は給水問題を解決するためだったと伝えた。

 記事は、1937年に当時の日本が川を堰き止めて堰堤(えんてい)を作り、それが南湖公園の巨大な湖になったと紹介。そして現在の巨大な湖は水が清らかで樹木が青々としげり、人びとの憩いの場として多くの人に親しまれていると伝えた。
日本統治時代の名残に反感を持つ人もいるとはいえ、洪水を防ぐために作られた南湖公園は多くの市民の役に立っていると言えるだろう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)