張勲(1854-1923年)は中国の軍人、政治家。
辛亥革命を経て中華民国が成立した後も、清朝への忠義を貫くため頑なに辮髪スタイルを守った。その特異ないでたちから「辮髪将軍」と称され、張勲の部隊は「辮軍」と呼ばれた。1913年、革命派が袁世凱打倒のため「第二革命」を起こした際、鎮圧に尽力したとして江蘇都督、長江巡閲使などを歴任する。
袁世凱の死後、大総統の黎元洪と国務院総理の段祺瑞が、対ドイツ開戦問題をめぐって対立を深めるなか、張勲は混乱に乗じて清朝再興を画策。1917年6月30日に紫禁城に入り、翌7月1日に12歳の溥儀を擁して清朝の復活を宣言し、共和制を廃止した。
しかし清朝復辟の報に全国には非難が渦巻き、孫文は上海で『討逆宣言』を発表した。段祺瑞が討伐軍を派遣すると“辮軍”は瞬く間に壊滅。張勲はオランダ公使館に逃げ込み、清朝復辟はわずか13日で失敗に終わった。(編集担当:梅本可奈子)
【関連記事・情報】
・【今日は何の日】1997年:香港が返還される(2007/07/01)
・社会>コラム>今日は何の日 - サーチナトピックス