604年7月29日、隋の煬帝(ようだい)が東都・洛陽の造営を開始した。

 煬帝(569-618年、在位604-618年)は隋の第2代皇帝。
関東(山海関より東)および江南に対する支配権を強めるため、荒廃していた古都・洛陽を復興させることを決定。7月29日(隋仁寿4年6月28日)、洛陽城の守備の要となる堀を掘るため、数十万人の労働者を徴集した。

 605年、煬帝は楊素を東都造営大監に任命し、毎月200万人の職人らを動員した。また、長江以南および五嶺(湖南、江西西部、広西・広東北部の境にある5つの嶺)以北の地域から、奇岩・奇木、珍獣などを取り寄せ、宮殿のほかに人工の湖や島、庭園をつくらせた。

 606年、東都が完成。洛陽は空前の繁栄を迎え、当時の政治・経済の中心地となった。

 煬帝はまた、100万人以上の民衆を動員して、現在の天津と杭州を結ぶ大運河を完成させた。これにより交通・物流は飛躍的に発展するが、東都や大運河の建設といった大事業に駆り出された民衆は疲弊し、国家財政も圧迫されて増税を招いたため、「煬帝=暴君」と評価される一因となった。(編集担当:梅本可奈子)

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