日本語と中国語(140)-上野惠司(日本中国語検定協会理事)

 その頑固な性質から「牛脾気」「牛性」という語を生んだ牛だが、この機嫌を損ねたらそれこそテコでも動かない強情な牛を動かす方法をご存じだろうか。

 私は幼年時代の一時期、北海道の山村で過ごしたことがあるので、さまざまな動物を身近に観察することができた。
家で豚・山羊・鶏を飼っていたし、兎は自分で育てたことがある。牛・馬は飼ってはいなかったが、接する機会はいくらでもあった。だから、牛を操る方法も知っている。

 耳を引っ張る?違います。なるほど「牛耳を執る」という語はあるが、そんなところを引っ張っても牛は動かない。動かないどころか、怒らせて角でやられかねない。
 
 では、その角を矯める?いけません、角など矯めると牛は死んでしまいます。「角を矯めて牛を殺す」というではありませんか。

 しっぽを引っ張る。ダメ、ダメ。その方法は豚にしか通用しません。

 鼻先にニンジンをぶら下げる?それが通用するのは馬です。


 では正解は?ニンジンをぶら下げるのではなく、鼻面を引っ張るのである。もちろんそのままでは引っ張りようがない。そこで鼻輪を通す。牛に聞いたわけではないが、あれは痛いのだそうだ。引っ張られると、モウたまらない。そこで引かれるがままに動くのだそうだ。

 「牽牛要牽鼻子」(牛を動かすには鼻面を引っ張れ)という中国語のことわざは、このことを言ったものである。ものごとは勘所をおさえることが肝心であることをいうのに使われる。「捉猪要抓尾巴」(豚を捕らえるにはしっぽをつかめ)と続けて用いることもある。

 上の誤答の「牛耳を執る」。一つの団体や党派の中心になって自分の意のままに支配することをいう。「牛耳る」と動詞化して使われることもあるのは、よく知られているとおりである。
「鼻面を引っ張る」とは違って、こちらはれっきとした典拠をもつ故事成語である。

 春秋時代、諸侯が集まって盟約を結ぶ儀式では、盟主となる者が牛の耳を割いて血を採り、列席の諸侯はこれを順番にすすって同盟を誓ったことから、「牛耳を執る」が同盟の盟主になることと同義で使われるようになった。故事は『春秋左氏伝』の終わり近く、定公8年、哀公17年の頃に見える。

 「吹牛」という語がある。文字どおりには「牛を吹く」だが、「ホラを吹く」という意味で使われる。あのテコでも動かぬ牛を吹き飛ばすということだろうか。それなら確かに大ボラだが、同じことを「吹牛皮」ともいうからややこしい。牛の皮を吹くことが、どうして大ボラなのか。いや、「牛皮」は当て字で、本当は雌牛のどこだかを指すのだという説明を聞いたこともある。だとしても、そんなところをなんのために吹くのか、いよいよもってわからない。

 「牛」は単独でも「ホラを吹く」という動詞として使われる。「他又牛起来了」は「野郎また吹き始めやがった」くらいの意味である。
「角突き合わせる」(仲が悪くていつもいがみ合っている)という意味でも使われていたかと思うが、手もとのメモに使用例が見つからない。(執筆者:上野惠司)

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