地引雄一×ECD「東京ロッカーズ」を語る(3)
1978年に巻き起こった、日本のパンクロック・ムーブメント「東京ロッカーズ」とは何か。現在、渋谷アップリンクで上映されている『NO NEW YORK 1984-91』の先行上映イベントで、80年代インディーズシーンの当事者である地引雄一(『ストリート・キングダム』著者)とECD(ラッパー)の対談がおこなわれた。<br><br>【関連写真】<br>・<a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0518&f=entertainment_0518_016.shtml&pt=large" target="_blank">マンガ評:女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」(2)</a>(2009/05/18)<br>・<a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0518&f=entertainment_0518_015.shtml&pt=large" target="_blank">マンガ評:女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」(1)</a>(2009/05/18)<br>・<a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0515&f=entertainment_0515_007.shtml&pt=large" target="_blank">マンガ評:川口まどか『死と彼女とぼく』(2)</a>(2009/05/15)<br>・<a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0515&f=entertainment_0515_006.shtml&pt=large" target="_blank">マンガ評:川口まどか『死と彼女とぼく』(1)</a>(2009/05/15)<br>・<a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0507&f=entertainment_0507_022.shtml&pt=large" target="_blank">対談:メディアが取材不可能のチベットへ潜入取材(1)</a>(2009/05/07)"(サーチナ&CNSPHOTO) 画像(1枚)
 1978年に巻き起こった、日本のパンクロック・ムーブメント「東京ロッカーズ」とは何か。現在、渋谷アップリンクで上映されている『NO NEW YORK 1984-91』の先行上映イベントで、80年代インディーズシーンの当事者である地引雄一(『ストリート・キングダム』著者)とECD(ラッパー)の対談がおこなわれた。


 自分がやらなくちゃいけなんだという意識がパンク以降にはあった 

 地引雄一(以下、地引):実はECDさんとは今回初対面なんですが、でも同じ現場にいたことは30年前から何度もあったんです。

 ECD:僕も「あれが地引さんだ」というのはお顔を拝見すれば分かっていました。地引さんが必ずライブに行って、写真を撮影していたから当たり前なんですけど。

 地引:ECDさんの本『いるべき場所』を読んで、渋谷の「屋根裏」だけでなくて「吉祥寺マイナー」にまで出入りしていたんだってびっくりしました。その前にはロッキング・オンのライターだった岩谷宏という人の作った劇団キラキラ社に、10代の頃から所属していたということも驚きでした。実は「東京ロッカーズ」が始まる前に、その舞台も見に行っていたことがあった。いろいろな場所でシーンを共有してきたんですよね。

 ECD:岩谷宏はどうだったか分からないですけど、劇団自体がパンクに触発されて何かしたいって想いで集まったりしたところがありました。何でしょうかね、パンクの影響というのは地引さんが思うには?

 地引:その劇団の中には、後にガセネタというバンドを作る山崎春美やギタリストの窪田春男とかが一緒にいたんですよね。

 ECD:なんかやらなくちゃいけないんだという意識がパンク以降強くありました。

 地引:ECDさんは劇団に入る時には、やっぱりもうパンクとか聞いていたの?

 ECD:そうですね。毎週パンクの新譜を入荷していた「新宿レコード」で店員をやっていた友達がいて、彼にバンドをしようかって誘われた時に劇団に入る方を選んだので。
もしそこで選択が違えば、また別の人生だったかもしれない。

 地引:そうなんだ。ECDさんの本には『平凡パンチ』の話とかも出てきて、すごく近い現場にいたなと。僕も「新宿レコード」に行っていたしね。

 ECD:知り合いとかも共通していて、でも劇団で山崎春美にも会えたわけで、そっちの選択の方が普通にバンドやるよりは刺激的だった(笑)。

 地引:やっぱり「東京ロッカーズ」の頃って必然的な出会いとか一つの流れみたいなものが出来上がっていて、どんどん新しいものが出来上がっていく時だった。それで80年代の後半からはECDさんはHIP HOPへ向かうんだけど、その時代ってバンドブームもあったけど、どうしてHIP HOPだったのかな?すごくいい選択をしたなと思うけど。

 ECD:80年代にはニューヨークでHIP HOPが始まっているわけで、ニューウェーブとの接点も結構あったのでそこから入ったんですよね。そのころから一人で何をやれないかという想いが強くなっていて。劇団はお金がかかるばっかりで、一人でできてちょっとでもいいからお金になるようなことがしたかった。ラップだったらそれが出来るんじゃないかなと考えました。

 地引:じゃあバンド形式で何かをやったりしたことは?

 ECD:楽器は出来なかったですからね。
ちょっとだけ、劇団の活動も中途半端になってきた時にビデオアーティストの人たちとバンドを組んだことはありましたが。でもHIP HOPをやろうと決めてから、シーン自体がまだ日本になかった。スクラッチひとつ例にとっても家にあるプレイヤーじゃ、レコードで聴くような音が出ない。そんな時に、劇団で音響をやっていた小沢靖さんという方が詳しくて。もう亡くなってしまった方なんですが、彼は灰野敬二さんのバンドである不失者のベーシストだったんです。「ターンテーブルは何を買えばいいですかね」って相談したらテクニクスのSL-1500って即答で教えてくれたんですよ。

 地引:それが日本でのHIP HOPのシーンの始まりだって事だね。あとすれ違っていた話で思い出したんだけど、僕が撮影したS-KENのライブ写真を見返していると、ステージ前でぶつかりそうなくらい前のめりで暴れているスキンヘッドの少年が写っていたんです。今考えるとあれはそんな当時のECDだったのかなーって、いま顔見てつくづく思う。

 ECD:S-kenは大好きでした。写真は、うーん、どうなんですかね?当時の写真で僕らしきものが写っているのを見たことありますけど。

 地引:あの頃は色んな所から同時発生的に勢いのあるバンドが生まれて、それが同じ場所を目指すかのように集まって作られてきた。
それで見に来てくれる人と一緒に、自然と出来上がっていったもので、あのシーンをもう一度作ろうとしてもそれは絶対無理ですね。

 ECD:分かります。作ろうとして作れるものではない。今は昔に比べて一度レールから外れたら最低限の生活もままならないという恐怖が支配してる。でもライブハウスにはドロップアウトしてもなんとかやってるような人が今でもいる、だから自分もやっていけるように思うんです。(情報提供:webDICE)

 写真:(左から)ECD、地引雄一

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