「胖西紅柿(ハンドルネーム)」さんは31日、最近訪れたという陝西省西安市の華清池で撮影した、楊貴妃の裸体像に抱きついて記念写真を撮る観光客の様子を「鳳凰網論壇」に掲載した。同投稿に対しては、行為の下品さやマナーの悪さを批判する声とともに、裸体像の設置そのものがよくないとの意見が寄せられた。
華清池は唐代の楊貴妃が湯浴みしたとされている温泉。

 西安市は観光産業に力を入れており、2009年1-7月の関連業界収入は前年同期比27.5%増の174.62億元(8月31日レートで約2380億円)。華清池は「ドル箱スポット」のひとつだ。

 写真では、男性1人が像の後ろからよじ登り、裸身の後ろから胸の部分を抱きかかえている。その他にも大勢の人がいるが、像の前に立つなどしており、少し離れた場所でカメラを向けている人がいることから、記念撮影をしていると思われる。

 男性を批判する書き込みとしては、「クズめ」、「つら汚し」、「国外でなくてよかったよ。中国人の恥」、「皇帝(唐代の玄宗皇帝)のカミさんも、今の世の中ではさわり放題だな」などがある。

 一方で、作品そのものに対する批判も寄せられた。「悪いのは、楊貴妃に服を着せなかった芸術家」、「お天道様の下で裸の像をさらせば、ヘンなことをする奴も出てくるよ。やれやれ」など。

 楊貴妃を指して、「そもそもロクな女じゃない。乱倫してたんだからな」とする書き込みもある。


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◆解説◆
 楊貴妃(719-756年)は唐代の皇妃。「貴妃」は皇妃としての位を表わす称号で、本名は楊玉環。もとは玄宗皇帝の息子、寿王の妃だったが、玄宗皇帝に見染められ後宮入りした。玄宗皇帝は即位当初から政治に力を入れ、唐は大いに栄えたが(開元の治)、楊貴妃に夢中になってからは政治への関心を失った。さらに楊貴妃のいとこの楊国忠に実権を握らせたことなどで宮中での勢力争いが激化し、「安史の乱」が発生。唐は衰えることになった。

 「安史の乱」により、玄宗皇帝は長安の都を脱出し蜀(現:四川省)に逃避。不満を高めた兵士らは、「諸悪の元凶」として楊国忠を殺害。次いで兵士らに強い要求により、玄宗皇帝は楊貴妃の殺害を許した。

 華清池は、秦嶺山脈の支脈である驪山の麓にある温泉地で、唐の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの舞台になった場所。唐代の詩人、白楽天は『長恨歌』の中で、華清池で湯浴みする楊貴妃の姿を「温泉水滑洗凝脂(なめらかな温泉水で、きめ細やかな肌を洗った)」と表現した。(編集担当:如月隼人)

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