(42)朱に交われば赤くなる
40年以上の昔、しんまえの国語教師だった頃、このことわざを前に立往生させられたことがある。人は交わる友によって善悪いずれにも……と、ありきたりの講釈をしていたら、生徒の一人が「ところで先生、朱と赤とではどちらが赤いのでしょうか」と質問する。
それはキミ……と答えかけて、はたと行き詰った。交われば感化されてその色に染まるというのであるから、朱のほうが濃くなければおかしい。けれども私の色彩感覚では朱よりも赤のほうが濃いような気がする。
確かめてみると、質問した生徒もそうだというし、他の諸君もそうだという。みんなで首をかしげているうちに別の一人が、ひょっとして昔は朱のほうが濃かったのでは……と、苦し紛れの思いつきを言った。
その時間は答えを得られずじまいであったが、後で調べてみて、その「思いつき」が実は正解らしいことがわかった。
上の「朱」、正確に言えば、色彩ではなく赤色の顔料を指すのであろう。硫化水銀の一種らしいが、そのことはしばらく措く。
赤色顔料である朱に近づけばその色に染まって赤くなる。これならわかる。朱が顔料であることは、このことわざが「墨に交われば黒くなる」(原語は「近朱者赤、近墨者黒」)であることからもわかる。
「朱」を日本語の辞書で調べてみると、「黄ばんだ赤色」というような説明がある。
(43)現代では「赤」よりも「紅」が濃い
「朱」が濃い赤色だとして、「赤」と「紅」はどう違うのだろう。
共にアカで、古くは「赤」、今は「紅」を多く用いるくらいにおおざっぱに理解していたが、必ずしもそうではないようだ。
日本語では早い時期に中国から入ってきた「赤」が多用される。日本語の「赤旗」が中国語では「紅旗」であり、「赤十字」が「紅十字」であることは、よく知られているとおりである。
太陽の色も、日本語では「赤」であり、中国語では「紅」である。「文革」中に毛沢東を「最紅最紅的紅太陽」と持ち上げたことは、まだ記憶に新しい。
「赤」を中国語の辞書で調べると、「朱よりもやや浅い色」とある。一方の「紅」は「鮮血のような色」である。新しいか古いかだけではなしに、「紅」のほうが「赤」よりも濃い、鮮やかな色と意識されていることがわかる。
(44)孔子サマは「紅」がお嫌い
上に、ことばとしては、「赤」が先で「紅」が後であるとも言い切れないと書いた。
「紅」は『論語』にすでに出てくる。糸ヘンがついているから、もともと織物と関係が深いのであろう。孔子は「紅」は正色ではないから、つまり混じりけのある色だから衣服には用いないと言っている。「紅」は「真っ赤」ではなかったことがわかる。
もう一方の「赤」は字形から見てもわかるように(大+火の会意文字)、燃え盛る火の色である。明らかに「紅」よりも濃く、鮮やかであった。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
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