(53)『大言海』の説明で尽きているのでは?
ツツガムシという毒虫にかまれることもなく無事息災であることを「恙無し」というとする説にはかなり無理があることを、前回、指摘しておいた。
この俗説(と、私には思われるのだが)を、初めてかどうかはこの方面の専門家でない私にはわからないが、とにかく明快に否定したのは、かの『大言海』である。
その「つつがなし」の条に、「痛処(ツツガ)無シノ義、障(ツツミ)ナシの転」としたうえで、「障(サワリ)ナシ」「無事ナリ」とし、例の『隋書』倭国伝の「日出処天子、致書日没処天子、無恙」を引き、この「無恙」は「相問ヒテ云フ語ニテ、御無事ナドト云ハムガ如シ」としている。
その転とする「障(ツツミ)ナシ」については、別条を設け、『万葉集』の「都都美無久、サキクイマシテ、ハヤ帰リマセ」を紹介している。
はたしてツツミナシの転であるかどうかはなお検討の余地を残すかもしれないが、古書にはあるが、その根拠がさほど確かであるとは思われない恙=ドクムシ説を採り、これにツツガの訓を与え、「無恙」をツツガナシとするよりも、はるかに明快である。
『広辞苑』『大辞林』『日本国語大辞典』などが、いずれも「無恙」の「恙」をドクムシに結びつける解釈を採らないのは、『大言海』の記述を踏襲したものであろう。
(54)まだツツガムシ説の辞典もあるが……
権威あるとされるこれらの大型辞典が否定もしくは無視しているからには、もうドクムシ説は完全に消え去ったのかというと、必ずしもそうではないらしい。
いずれも最新版ではないので、或いはその後記述が改められているかもしれないが、最もポピュラーな国語辞典の一つである『新明解国語辞典』第三版は「恙虫の害から免れている意」とし、『岩波国語辞典』第五版は「つつがむしの害にあわないでいるからという」としている。
断定の語気に違いは認められるものの、両辞典ともドクムシ説にくみしている。編者が異なる以上、出版社が同じであるからといって解釈が同じでなければならない理由は少しもないが、『広辞苑』と『岩波国語辞典』が同じ岩波書店の、『大辞林』と『新明解国語辞典』が同じ三省堂の出版物であるのも、ややこしいと言えば、ややこしい。「先生、こちらの方ではこうなっていますが……」なんてやりとりが、編者と編集スタッフの間でなかったのだろうか。
漢和辞典も、多くはドクムシ説を採っていないようだ。
例えば、私が愛用している大修館書店の『広漢和辞典』(本当は『大漢和辞典』を引くべきなのだろうが、大きくて扱いにくいので、よほどのことがなければそのダイジェスト版に近いこちらの方で間に合わせている)は、「無恙」を「うれいがない、病気がない、平安無事の意」とし、ドクムシ説は採らない。(もっとも「恙」の字解で触れてはいるが……)
最近の辞書では、『学研新漢和大字典』が「『無恙』とは、つつが虫にやられないの意から、無事で日を過ごすこと」と断定している。
中国刊の辞典は、『漢語大詞典』がわずかに触れるほかは、『辞源』も『辞海』も毒虫説を無視している。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
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