河南省文物局は8日、同省内に残る「楚の長城」30.51キロメートル分を確認したことを明らかにした。中国新聞社河南支局が報じた。


 楚は周代(紀元前1046年ごろから)から戦国時代(紀元前403年-同221年)に存在した王国。現在の湖南・湖北が主な領土だった。

 河南省内に存在した楚の長城で、場所が確定されたのは全長137.22キロメートル。うち81.34キロメートル分は、山をそのまま利用したもので、25.37キロメートル分は完全に消失したことが分かった。

 河南省に楚の長城の遺構が残っていることは2000年に確認された。その後の調査で、現在までに30.51キロメートル分を確認したという。過去に存在した楚の長城は、総延長で800キロメートルとみられている。

 これまでの調査を通じて、多くの専門家が、河南省内に残る長城の遺構は、中国でも最も古い「長城遺跡」と考えるようになったという。

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◆解説◆
 中国は古い時代、黄河流域などに点在した都市国家の集合体という性格が強かった。「国」という文字も本来、都市を囲む城壁内に王が存在する様子をあらわしたもので、現在とは字義が違った。

 戦国時代までには、各地の王国が都市以外の領土を画定・支配するようになった。隣国との境に城壁(長城)を設けるケースも出現したことは、「領土国家」の概念の定着にも関係するとされる。
中国を統一した秦は、“国内”の長城を破壊を進め、北方異民族との境界の長城を再整備した。ただし秦の支配領域は現在の中国とは大きく異なり、東北3省、内モンゴル、新疆ウイグル自治区、チベット自治区、台湾などは含まない。その一方で、ベトナムの一部などは支配した。

 現在に残る長城は、明代(1368-1644年)にモンゴル民族への対抗のために築かれた。明側からみれば「防衛ライン」だが、「モンゴル側からみれば、南から進出してきた農耕民族が、土地を囲い込んで確保したものと考えられる」との意見もある。(編集担当:如月隼人)

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