1995年結成の人気お笑いコンビ、「ガレッジセール」。個性あるキャラクターと親しみやすさでブレイクしたメンバーの「ゴリ」と「川田広樹」は共に沖縄県那覇市出身で、沖縄の話題をトークに活かしたり、方言をコントに取り込むなどして活躍を続けてきた。


 全国区で知られる沖縄の代表的な有名人で、また沖縄の情報を広めている貢献者と言えるだろう。沖縄関連番組への出演が多いほか、毎年3月に開催される「沖縄国際映画祭」でも司会をつとめたり映画制作に関わったりと大忙し。映画祭の会場で2人に会い、作品のことや展望など聞いてみた。(写真は筆者撮影)

――故郷・沖縄のメインストリート、国際通りのレッドカーペットを歩いた感想を聞かせてください。

 ゴリ : 僕たちは国際通りで映画を見て、新しいファッションを探してきました。初めてデートをした時は、手をつなげずドキドキしてましたね。他校の先輩に路地に連れ込まれて、お金を持ってるか聞かれたこともあったな。そんな感じで甘い思い出も苦い思い出もすべてつまっているのが、国際通りなんです。そのど真ん中に赤いカーペットが敷かれ、そこを歩きながら県民の方達たちの声援を浴びる。こんなに感慨深い経験はありません。開催に携わったみなさまに、感謝しています。

 川田 : 実家から10分ぐらいで行けるので、買い物するのも友達と遊ぶのも国際通り。
僕もデートしましたよ。その思い出の地でレッドカーペットが開催できることに、とにかく感動しました。宜野湾会場のレッドカーペットとは、違う感覚になったんです。気持ち良かったですね。てんぶすビルの前に大型ビジョンもできましたし、どんどん変わって来ている那覇の姿も実感しました。

――第6回を迎えた沖縄国際映画祭。宜野湾と那覇会場以外にも、沖縄市・浦添市・北谷町と会場を広げましたがいかがでしたか?

 ゴリ : 開催期間は少し短くなりましたが、会場が広がったことで大規模になり、内容の濃い5日間だったと思っています。沖縄国際映画祭に参加するよしもと芸人たちは、別名“旅行”と言って楽しんでいます(笑)。東京や大阪で仕事をしている時よりも笑顔が多いというか。楽屋はピースフルなムードにあふれていますよ。でもよしもと社員は大変! 大勢のタレント、約38万人のお客様にボランティアスタッフ。すべて束ねなきゃいけなくて、日々走り回っています。
だから日に日にやつれて行くのが見えるんです。“沖縄国際映画祭ダイエット”と言ってます。裏方を務める社員のために、5日間位がいいんじゃないですかね(笑)。

 川田 : 全会場に、たくさんのお客さまが集まってくれました。どっちかに偏るかなと思ったんですけど、そんな心配は無用でした。とにかく盛り上がったので、みんなで一緒になって映画祭を作り上げている、と感じましたね。島全域に広げたのは今回が初めてでしたから。沖縄の人たちが優しい気持ちで、「映画祭始まったね。ありがとう」と声をかけてくれたりして、うれしい。本当にありがとうございました!

――芸人としてだけではなく、お2人とも地域発信型映画の関係者として映画祭に出席されました。ゴリさんは監督作品の『ロクな人生』、どういう風にイメージをふくらませて制作しましたか?

 ゴリ : 沖縄市を舞台にした映画ですが、エイサー(伝統芸能)の街と言われているので、エイサーを前面に出してほしいという気持ちの方がいらっしゃったかもしれません。でも僕の中では沖縄市イコール、異色な街なんです。
沖縄の中でも海外というか、陸の孤島ならぬ陸の海外。アメリカ文化と共に発展しながら衝突し、独特な文化芸術を形成していったと思っています。沖縄市のそんなディープな部分を、暗い内容で表すのではなく笑いを入れたかった。そして歴史にも触れ、知識欲も満たせる作品にしたいという気持ちで作りました。東京の出版社でライターとして働いている女の子の目線で、沖縄市という街はどのように見えるのか表現しました。

――音楽の街だということも、映し出していましたね。

 ゴリ : 沖縄ロック発祥の地ですし出身アーティストさんが多いので、沖縄ロックで締めたかったんですよね。基地が身近にある街だからこそ、ロックの始まりであるアメリカ文化が強い訳ですし。その基地の街の圧制の中で、「コザ暴動」と呼ばれる事件がありました。沖縄の人は知っていても全国の人は知らないと思うので、伝えたかったんです。この映画は沖縄市の100分の1も表現していないでしょうが、地元の方たちがよくやったと褒めてくださいました。僕の中には、「コザ(沖縄市)の人たちは苦しんできたからこそ、困っている人がいると放っておけない」という思いがあり、それをキーワードに30分の物語を作りました。


――30分とは思えない程濃い内容でしたが、撮影でこだわった部分は?。

 ゴリ : 観客が長いと感じてしまう映画はダメだと思うので、そういう風に見てもらえると作り手としては「よし!」という気持ちになります。笑わせるシーンで、顔アップで撮ろうか体全体が入った方がいいのかなど、観客のベストな角度を探して、カメラマンと話し合った点などが映像のこだわりですね。今後も上映の機会を作って、いろんな方々に見ていただきたいと思っています。(2に続く)(沖縄国際映画祭公式サイト  http://www.oimf.jp/)(取材・文責:饒波貴子)


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