お笑い界の頂点を目指し、今春沖縄から東京へ飛び立った3人の若者がいる。漫才コンビ「浦添(うらそえ)ウインドゥ」の積友也(せき ともや)と島智大(しま ともひろ)、そしてピン芸人の東出岳(ひがしで がく)だ。


 2011年4月創立の「よしもと沖縄エンターテイメントカレッジ(YOEC)」に入学し、一期生として笑いを学んだ3人は、沖縄県内で開催される定期公演やイベント等を中心に活躍。3年が経ち知名度も人気も上昇してきた所で、拠点を東京に移すことを決意した。

 どんな思いを抱えて、飛び立ったのだろうか!? 芸人を目指すきっかけとなったエピソードなど含めて、話を聞いた。(写真は筆者撮影、右から浦添ウインドゥ積友也と島智大、ピン芸人の東出岳)

――よく知っている間柄だと思いますので、お互いを紹介してください。

 積 : 島は「金づる」(笑)。僕らは2人いないと成立せず、コイツがいなければ僕は食えない。仕事のパートナーです。

 島 : ほかの言い方があると思いますが、僕は積の「金づる」という存在にしておきましょう。東出は北海道が生んだ変態。ライヴでよく一緒になり、バイト先も同じでした。彼ほどプライベートとステージが違う人はいないと思う。普段は引っ込み思案です。


 東出 : 否定はしません。舞台ではスイッチが入り、人格が変わります(笑)。積さんはYOECでは同期ですが、長い芸歴を持つ先輩。ネタの相談などのってもらっています。

 積 : 東出のネタは個性ありすぎて、面白いんです。東京でいろんな先輩にいじってもらったら、伸びると思います。すぐテレビに出られそうな感じがしますが、一発屋になる可能性もありますね(笑)。

 東出 : 現実を初めて知りました(笑)。

 島 : そこまで知らせなくて良かったのに。東出は顔が男前で寡黙でカッコいいんですが、便器にはまったり、鉄球を持つネタなどを人前でやっています(笑)。

 積 : 個性でしかネタを作らず、僕らが考えられないものを考えて……やっぱり変態だ。

 東出 : ありがとうございます。
一発屋にならないように頑張ります!

――芸人になろうと思ったきっかけを、教えてください。

 島 : 高校生の時テレビを見て、お笑いの世界に行きたいなと思いました。『エンタの神様』が全盛期の頃で、番組出身の芸人さんにあこがれたんです。それで東京の吉本の学校に入りました。

 積 : 学生の頃は、お笑いをやろうと思ったことはありませんでした。小学生の頃にハンドボールを始めて、沖縄のトップレベルのチームで続けていました。福岡の大学に進学した頃に怪我などが理由で辞めたのですが、レギュラー争いとか人に負けないぞと競争する環境が無くなり、ストレスを感じました。自分に課題を与えないとダメになる! という感覚だったんです。それでフルマラソンに出たり、お遍路したりといろいろ挑戦している中で、お笑いを目指すようになりました。人と競う勝負の世界だと思いますし、人前で何かやるのが好きだったので。沖縄の人間が東京で認められるのは難しいイメージでしたが、試してみたいと思い上京して吉本のお笑い学校に行きました。僕の中ではお笑いも部活に通じる感覚で、漫才コンテストなどに出場するのが楽しいんです。
お笑いの知識はなかったのですが、面白くて不思議な体験をしたい気持ちでした。

 東出 : 僕は子どもの時から、お笑いが好きでした。でも芸を見せる側ではなく、見る側としてです。北海道出身ですが教師を目指して沖縄の大学に入り、落語研究会に籍を置きました。プロを目指す先輩たちがいて、あこがれのお笑い界が夢ではなく現実に近いと思えたんです。沖縄に吉本の学校ができると聞いて、好きなことで勝負をしたいと思い入学しました。大学生活と同時進行していたのですが、まさか芸人になるなんて……沖縄に来て人生が変わりました(笑)。

――みなさん、それぞれですね。積さんと島さんは東京で出会い、07年に「浦添ウインドゥ」を結成。ライヴやテレビで等で活動していましたが、11年に積さんの故郷・沖縄に戻ってきた訳ですね。再度東京進出を決め、沖縄でサヨナラ公演を開催しましたが、大成功おめでとうございました!

 島 : 3年間も沖縄でお世話になり、感謝を伝えたい方たちがたくさんいました。形として最後に残しておきたい気持ちでしたので、単独でサヨナラ公演ができて良かったと思っています。


 積 : お客様から見たら僕たち2人が主役でしたが、僕にとっては舞台裏で手伝ってくれたスタッフや仲間メインの公演でした。僕らは舞台で作品を見せて、笑わせるのが役目。でも映像やポスター作りに始まり、たくさんの人が動いてくれたんです。ネタがうけたかどうかより、みんなのおかげで開催までたどり着けたことが何よりの成功でした。打ち上げも盛り上がり、記念の公演になりました。みんなで作り上げる公演が実現できたんです。

――その単独公演の後、定期公演「笑ポート」にも出演しましたね。

 島 : 単独公演に「これより我ら琉球を去る」というサブタイトルをつけたので、「まだ出るんかい!」って思われる可能性があったんですけど……。

 積 : 僕がワガママ言って、最後に沖縄の仲間と舞台に出たいとお願いしたんです。東京でがんばってくるぜと意気込む訳ではないですが、みんなで盛り上げられたらいいなって思ったんですよ。最後の定期ライブで、出演者紹介のナレーションをやったり、トップバッターで出たいと伝えたら、事務所がOKしてくれました。今まではトリをつとめる機会が多かったので、沖縄の最後はトップで出て後輩たちに引き継ぐイメージでした。
ライバル的な同期の「初恋クロマニヨン」とトークで絡むのも珍しいパターンで特別でした。僕は見事にドッキリに引っかかり舞台で涙を見せてしまいましたが、こんなことまで仕掛けてくるのかと予想できませんでした。それもひっくるめて、ワガママ言って良かった! 過去のライヴの中で、上位に入る位の盛り上がりだったと思いましたし、達成感や舞台での強い絆を感じました。沖縄の芸人仲間はやっぱりすごい! と思えた時間でした。

 島 : 出ると決めたからには僕もがんばりましたし、送別会も開いてもらってありがたかったです! 沖縄には長い旅行気分で来た感覚がありましたが、東京でまた一から頑張ろうという気持ちになれて良かったと思っています。

 積 : 終わった瞬間、引退してもいいかな~という気持ちでした(笑)。その位本当に楽しかった!(2に続く)(よしもと沖縄公式サイト  http://www.yoshimoto.co.jp/okinawa/)(取材・文責:饒波貴子)

 ※浦添ウインドゥ・東出岳のライブ出演情報などは、本人ツイッターなどからご確認下さい。


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