中国共産党の機関紙のひとつ、光明日報は19日付で「近代中国の社会教育と国民性の改造」と題する論説を掲載した。清朝末期にはすでに、自国民に「愚・窮(乏しさ)・弱・私(自己中心)」との特徴があるとの認識があったとして、当時の「国民性改造」を紹介した。
単純な「歴史紹介」ではなく、現状に対する反省・再考の呼びかけだ。

 掲載場所は同紙の「理論・実践」面だ。他には「競争にもルール、国有企業が海外進出で直面する挑戦」、「価値観教育は全面的な法治国家の重要な支え」との論説2篇が掲載された。同論説は単純な「歴史紹介」ではなく、現状に対する反省・再考の呼びかけと分かる。

 論説は、清末民初に政治やジャーナリズムの分野で活躍した梁啓超(1873-1929年)が、「愚・窮・弱・私」こそが、「中国の民衆の病んでいる部分」であり、「中国が弱くて不振である根源」と主張したと紹介。

 さらに「中華平民教育促進会」などの団体が結成され、「識字教育で知力を養う」、「全人教育で生産力を向上させる」、「公民教育で団結力を訓練する」、「衛生教育で発育と健康を助ける」などの方針が唱えられた。

 1920年ごろからは、農村部における社会教育に力が入れられるようになった。さらに、中華民国政府も社会教育に力を入れるようになり、1935年には「非識字者をなくす6年計画」を発表した。

 論説は最後の部分で「知識分子の精鋭が社会の基盤層の教育を指導し模範を示し、政学両界が手をとって社会教育の大きなうねりを起こそうとした」と紹介した。

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◆解説◆

 上記論説は、日中戦争や国共内戦、中華人民共和国成立以降の「社会教育」については触れなかった。「尻切れトンボ」感は拭いきれない。共産党が政権の座についてからの事情については辛辣なことを書かざるをえないので「避けた」とも受け止められる。


 日本では、西洋文化を本格的に導入する以前から、人々の間に「教育を重視」する感覚が育っていった。都市部では「読み書きそろばん」を教える寺子屋が繁盛した。

 各藩は武家の子弟を対象にした藩校を設立。農学や算術、暦学などの「実学」に堪能な者も増えた。幕末には、航海術や造船、製鉄などを学ぶだけでなく「日本人の手で行う」動きが活発になった。

 明治新政府は欧米への留学生派遣だけでなく、外国人教師を招聘した。政府は深刻な財政難・外貨不足に苦しんでいたが、破格の待遇で迎えることも多かった。例えば、米国人のクラーク博士の場合、現在の金額では年俸1億2000万円の待遇だったという。

 明治政府は初等教育にも極めて熱心で、1875年(明治8年)には、ほぼ現在に匹敵する約2万400校の小学校を全国各地で開校した。

 日本では歴史を通じて「他者から学び、自らも改めて学ぶ」との発想が定着しており、近代化にあたって「教育重視」の考えは確固としていたと評価できる。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:CNSPHOTO。押し寄せた群衆の奪い合いの対象になった菊花展の鉢植え)


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