日本が近代国家への道に踏み出した明治維新から今年で150年。中国でも明治維新に対する関心は高いが、中国メディアの捜狐は24日、明治維新を模倣した清はなぜ改革に成功しなかったのか分析する記事を掲載した。


 まず記事は、明治維新によって近代化に成功した日本は、清王朝にとって良いお手本となったと紹介。当時、日本やドイツのような立憲制でありながら「君主が大権を握る」制度が清王朝にとっては望ましく、日本の体制はドイツから学んでいたので、清は日本に学べばよいということになったと紹介した。

 記事によると、清王朝は日本の憲法を参考に「欽定憲法大綱」を制定し、改革を目指したという。では、なぜ清の改革は後に失敗したのだろうか。記事は、「清は大事なことを1つ忘れていた」と分析。それは「幕末期の日本は、各地の大名が割拠する真の意味での封建制度だったこと」だ。明治維新の大きな目的の1つは、これらの大名勢力の力を落とし、中央集権政府を作り改革を進めることだったため、天皇が統治権を有する憲法を作成したが、「日本が求めた中央集権こそが中国にとっては最大の弊害となっていた」と、その違いを指摘した。

 そのため、清では西太后の死後、明治政府をお手本としてさらに君主と皇族の権力を強化することに務め、責任内閣を採用するにあたってもいわゆる「皇族内閣」となってしまい、この点、初代内閣総理大臣となった伊藤博文が民間出身だったのとは大きく異なったと分析した。

 記事は、「改革とは結局のところ、権力と利益の再分配である」と主張。改革者が依存する統治の基礎となる層の利益と改革の方向性が一致する時、改革は成功するもので、明治維新はその良い例だが、清が進めた「欽定憲法大綱」では、統治の基礎となる総督や巡撫、地元有力者の権利や利益をことごとく奪うものであったため、「改革の失敗が決定した」と分析。このため、改革は反発を招き辛亥革命へとつながったのだと論じた。また、同時に行われた増税で、腐敗を悪化させ民衆の怒りを買ったことも要因の1つだとした。


 やはり、当時の日本と清とでは体制や状況が異なっており、日本と同じようにうまくはいかなかったようだ。今でも中国では、「日本のバブル崩壊から学べ」などと言われたりするが、やはり体制や状況が異なっているため、参考程度にしかならないのではないだろうか。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)


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