中国は1978年、トウ小平氏のもと改革開放政策を導入した。40年以上が経過し、中国経済の飛躍的な発展を見れば改革開放の成果は一目瞭然と言えるだろう。


 中国の発展を象徴するものの1つに「高速鉄道」を挙げることができる。改革開放当時の中国にはもちろん高速鉄道は存在しなかったが、現在の中国高速鉄道の総延長は世界一となっている。中国メディアの捜狐はこのほど、中国の鉄道分野における発展を振り返る記事を掲載した。

 1978年10月、トウ小平氏は日本を訪れ、新幹線に乗車した。当時、トウ小平氏は「誰かに押されているかのような速さだ」、「中国もこの速さが必要だ」と感想を述べている。当時の中国国内に存在した鉄道の平均速度は時速40キロメートルほどだったというが、そこから現在の高速鉄道網を構築したことは確かに驚異的と言える。

 記事は、改革開放のもと計画経済から市場経済へと舵を切った当時の中国は文化大革命の影響で「あらゆるモノが不足し、国家としても非常に脆弱だった」と指摘する一方、改革開放によって中国は前進を始め、鉄道の分野でも様々な改革が進められたと紹介。たとえば1984年には14万人もの鉄道兵を鉄道部に編入し、中国鉄路建設総公司が設立され、鉄道兵たちは経済成長のために邁進することになったと論じた。

 また、中国政府が1983年に首都・北京市と9つの省を結ぶ「京九線」の構想を打ち出すと鉄道建設の機運が全国的に大きく高まり、北京と上海を結ぶ鉄道路線などの構想も浮上したと紹介。だが、この時期は改革開放政策に対する疑義も浮上した時期であり、鉄道建設における行動も遅れが生じた時期だったと伝える一方、トウ小平の1992年の南巡講和によって鉄道建設は再び加速したと伝え、1994年には広深鉄道で時速160キロに達する「準高速鉄道」が運転を行ったと紹介した。

 そして、中国はその後も鉄道の高速化に取り組んだと主張、「トウ小平が『速い』と語った新幹線の営業速度を上回る高速鉄道を中国全土に建設するに至った」と主張。日本やドイツから技術を導入したことや、その技術の使い方をめぐって争議があることには触れず、「現代の中国人にとっての誇りである高速鉄道は無数の中国人の汗と涙の結晶であると同時に、祖国の発展を後押しした立役者である」と伝えている。
(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)


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