記事は、日本は狭い国土や乏しい資源、そして自然災害の頻発など、必ずしも地理的な条件が優れていたわけではないながらも歴史的には独特の地位を確保し、特に近代ではアジアで数少ない独立を保って欧米列強と肩を並べ、戦後には長きにわたり米国に次ぐ世界第2の規模を持つ資本主義国にまで成長したと紹介。
1つめの改革は古代に起こったと紹介。世界で最も強大な封建国家を作り上げた中国と向かい合う日本は、当時の唐王朝に学ぶべく使者を何度も送り込み、未発達の造船、航海技術を使って非常に大きなリスクを払いながら計20回近く中国に人員を派遣して制度、技術、文化、建築、宗教などさまざまなものをを学び、日本社会の進歩に大きく寄与したと説明している。
2つめの改革は、幕末から明治にかけての近代化である。日本も清朝同様19世紀中ごろに欧米に不平等条約を結ばされると、中下級武士らが江戸幕府を倒す運動を成功させ、天皇が実権を握る政権を実現させたと紹介。その背景にあったのは「中国と同じ轍を踏むな」という考え方であり、日本は明治維新後欧米に使節団を派遣し、現地の先進的な工業社会や政治制度を学んだとした。そして、中央集権を強化して国をまとめ、殖産興業で国を豊かにし、文明開化で社会を進歩させることで国力を強化し、封建国家から近代の資本主義強国への転身を成功させたと伝えた。
そして3つめの改革は、ファシズムによる軍部の暴走により日中戦争や第2次世界大戦に突入して焼け野原と化した日本で始まった、米国主導による民主化改革だとした。米国の社会や政治制度に学びながら民主化を進め、朝鮮戦争の特需で経済を立て直すと、技術の発展に伴って急速な経済成長を実現したと紹介している。
記事は、「日本の発展の歴史はこの3つの改革に由来している。いずれも改革前に日本は時勢を冷静に分析し、強い国に学んだ。そして、強い意志や不撓不屈の精神でそれを徹底した」とし、「学び、消化し、発展させる」というモデルを繰り返してきたと評した。
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