記事は、17世紀から19世紀にかけて約260年続いた江戸幕府の11代将軍、徳川家斉は50年のという在任期間のほか、妻と妾の数、もうけた子どもの数でも徳川15代将軍の中で一番だったと紹介。
そして、将軍在任期間がちょうどペリー来航前までの比較的安定した世の中だったこともあり、家斉は一説に40人と言われるほどの実に多くの妾を持ち、子づくりに励んだと解説。17歳から55歳までに間に男子26人、女子27人の計53人にものぼる子どもをもうけたと紹介した。
その上で、家斉の旺盛な精力を支えた要因として後世の研究者が3つのポイントを挙げているとした。まずは、規則正しい生活を挙げ、初代将軍家康をお手本として早起きと起床後の散歩を励行し、散歩時には冬でも薄着でいたとされることを伝えた。
次に、家斉が馬に乗って杖を用い、毬を門に入れる「打毬」という球技を愛好していたことを挙げた。家斉はこの球技の名手であり、熟練の者でも家斉にはかなわなかったと伝えられていることを紹介し、日常的に体を動かす習慣や趣味があったことが健康な体を作ったとしている。
そして、3つめには、飲食の習慣を挙げている。若い時こそ大酒飲みだったものの、壮年期には養生に努め、酒量を抑えたとしたほか、血行を良くするショウガを好んで食べたこと、牛乳と砂糖からできた「白牛酪」や、オットセイの陰茎、クジラといった滋養強壮薬を日常的に食していたとされることを紹介した。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)
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