記事は、1922年11月13日に、世界を代表する物理学者のアインシュタインが中国の上海にある旅館で、保留となっていた前年のノーベル物理学賞の受賞が決定したとの知らせを受けたと紹介した。
その上で、当時アインシュタインが上海にいたのは中国訪問が目的ではなく、日本を訪れるための経由地としてわずか3日間滞在したのみであり、その後は二度と中国を訪問することはなかったと説明。また、当時の国民政府は日本よりも先にアインシュタインに招待を出していたにも関わらず、結局アインシュタインは中国訪問ではなく、30日以上に及ぶ日本訪問を選択したのだと伝えている。
そして、なぜアインシュタインが中国ではなく日本を訪れることを選んだかについて「真相は当人のみが知るところ」としつつ、残されている史料からは2つの理由が存在することが容易に見て取れると指摘。まず、辛亥革命からわずか10年しか経っていなかった当時の中国では、科学者に対するリスペクトが不足しており、仕事に見合う対価が支払われていなかった点を挙げた。
また、2つめの理由として、科学者だけでなく科学自体も重視しておらず、科学に興味を持つ人も少なかった点に言及。当時すでに4億もの人口を抱えながら、「科学に明るい通訳を1人さえ見つけられなかった」ため、日本にチャンスを奪われてしまったのだとしている。
一方で、当時の日本はすでに科学教育を重視しており、西洋の優れた技術を積極的に取り入れて急速に発展していたと紹介。科学に対する態度の差が、世界的な物理学者と交流するチャンスを大きく左右し、そのチャンスを手に入れた日本はさらに科学を進歩させ、かたや、そのチャンスを失った近代の中国は科学分野の停滞が続くことになったと伝えた。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)
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