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「コンプレックスの笑いがなかった時代なので、『これお笑いになってるのかな』って怖さがありました」と語る安島隆氏

「社交性がたりない」「恋愛経験がたりない」など、たりない部分≒コンプレックスを笑いに昇華させてきた南海キャンディーズ山里亮太オードリー若林正恭のユニット「たりないふたり」。

その仕掛け人である日本テレビの安島隆氏が、自身のテレビマンとしての歴史と「たりないふたり」の歴史を振り返る著書『でも、たりなくてよかった たりないテレビ局員と人気芸人のお笑い25年〝もがき史〟』(KADOKAWA)を刊行した。

「たりないふたり」が生まれ、人気になっていく様子を彼はどのように見たのか。

* * *

■「たりないふたり」と『BABY BABY』

――「たりないふたり」が生まれる前に手がけられていたバラエティ番組『落下女』(2005~06年)は渋谷系カルチャーにこだわったおしゃれな番組でした。

安島 僕は大学生のときに渋谷系カルチャーを浴びた世代なんですけど、当時は照れちゃってあんまり乗れなかったんです。でも配色の感じとか音楽とかいろんなものが好きで憧れてて、ご多分に漏れずモテなかった。

『落下女』の「せめて服装とか音楽とか世界観だけでも、って背伸びして女性にモテる妄想をする」って設定はそんな自分になぞらえたものです(苦笑)。

あと、そういう「カルチャーの楽しさや豊かさ」を広く伝えたかった部分もありますね。もちろんコント番組なので面白さが最優先ですが、僕はビジュアルとか音楽とかを含めて、テレビをカルチャーとしてとらえていて。

当時は、それを発信することが大事だと思っていたんです。

――続いて2008年にライブから始まった『潜在異色(いしき)』は、アンガールズ田中卓志さん、ドランクドラゴン・鈴木拓さん、ロンドンブーツ1号2号田村亮さんなどが集まり、「テレビでやれないネタを披露する」「コンビではなく個人で新たな一面を見せる」というコンセプトでした。その中から、山里さんと若林さんの「たりないふたり」が派生しました。

安島 そのふたりは「他人にどう思われようと自分のインナーな世界をどんどん追求していく」みたいな空気ですよね。『落下女』で使用していたBGM(小沢健二の『ラブリー』やフリッパーズ・ギター、ピチカート・ファイヴの楽曲)が90年代のものだったから、「たりないふたり」は違う印象の曲がいいなというのは漠然とありました。

ライブをやるとなり、急いで出囃子(でばやし)を決めなきゃいけなくて、どんな曲が合ってるか想像したときに感覚的に銀杏BOYZの『BABY BABY』を思いついたっていう。

不器用に生きる男性がせめて甘酸っぱい夢想をする。内にはたぎるものを持っている。改めて歌詞を読み返すと、ちょっとリンクしている部分もあるかもしれないですね。

若林くんは地続きで生の声に噓をつかない

――その後、「たりないふたり」が大人気に。なぜ10年代にコンプレックスの笑いが支持されたと思いますか?

安島 時代もあるとは思いますが、ふたりがライブを始めた当時(2009年)はまだウケないジャンルだったと思います。偉そうな言い方をさせていただくと、割と先を行っていた。だからこそ、最初は「これお笑いになってるのかな」って怖さがありました。

あの頃のバラエティはMCがいて、ひな壇に10人ぐらいの芸人さんやタレントさんがいるのが主流。しゃべる内容といえば「おまえ、あのときの飲み会でこうだったよな?」みたいなエピソードトークが全盛でした。そんな時代に「ひな壇がキライ」「飲み会自体行きたくない」というスタンスって真逆じゃないですか。

南海キャンディーズといえばしずちゃん(山崎静代)、オードリーといえば春日(俊彰)っていうのが当然の時代だったし、「人見知り芸人」なんてくくりもないから、山里くんと若林くんのふたりをどう見たらいいのかわからない方は多かったと思います。

――昨今、自意識の強さや自分の面倒な部分を語るバラエティは珍しくなくなりました。

安島 確かに「実は私、こんな闇があるんです」みたいなことをしゃべる番組って増えましたね。

「たりないふたり」はそれを「お笑いにしよう」って意識が当時からすごくありました。

例えば「飲み会で先輩の説教を避けるために小銭をぶちまける」っていう若林くんのワザがあるんですけど、面白いじゃないですか。もしかして実際は「たまたまこぼしたら、そっちに皆の目がいった」ぐらいのことだったとしても(笑)。

それを彼は〝まきびし〟と名づけてワザとこぼすネタに仕立ててる。そんなふうに、ドキュメントをベースにエンタメになるまで練り上げる部分にはこだわっていました。

南キャン・山里とオードリー・若林を引き合わせた日テレの安島隆氏が振り返る「たりないふたり」誕生譚
「たりないふたり」について語る安島氏

「たりないふたり」について語る安島氏

――その若林さんは、今やテレビスターです。

高い人気を誇るのはなぜでしょうか?

安島 「リアルな自分」と「仕事の自分」を切り分けるのが定石だと思うんですけど、若林くんはめちゃくちゃ地続きの部分が多いと感じます。お笑いっていうジャンルであれだけ自分を切り刻むみたいに供出する人がまずいないんだと思います。それが押しつけがましくないのも理由のひとつだと思います。

あと彼は「たりないふたり」を始めた頃と今とでだいぶ言うことが変わった部分があります。でも、そこの整合性を無理して取らないんです。ラジオはその典型ですけど「自分の生の声に噓をつかない」ってずっとやってきた積み重ねが、今になって信頼感につながってる気がします。

若林くんも好きなヒップホップの世界って「今の気持ちを歌うこと」にこだわるそうです。「今の感情に正直に生きながら、エンタメに落とし込む」って作業を、いつからか彼は自覚的にやるようになったんだと思います。

――今年は山里さんと若林さんのドラマ『だが、情熱はある』(日本テレビ)が話題に。なぜこのタイミングだった?

安島 今って、「何かやりたいんだけど、どうしていいかわからない」という人や、「努力すれば必ず報われるというわけではないって気づいているけど完全には諦め切れない」という人がいっぱいいるんじゃないですかね。

あのドラマって山里、若林のふたりがそれを繰り返していくんですよね。しかも、売れればその気持ちがきれいさっぱりなくなると思ったら、売れたら売れたでまた壁がある。最後はハッピーエンドなのかどうかわからない物語って今っぽいし。ちなみに偉そうに語ってますが、僕が出した企画じゃないですからね(笑)。

今って山がいっぱいできちゃいましたよね。テレビでいえば以前は〝ゴールデン〟という大きな山があって、それを登り切った人だけが成功者ってイメージがありましたけど、今はテレビだけでも「視聴率が高い」「配信が回っている」「SNSで盛り上がっている」と、いろんな山がある。

テレビじゃない山もいっぱいある中で「ここはダメだったかもしれないけど、あっちの山なら登れるかも」と思ったら自分を捨て切れないですよ。そう考えると「絶対的な成功がない」のが今の苦しい現実なんじゃないですかね。

■今やるならおじさんが笑って元気が出るもの

――安島さんが今のお笑いに感じることは?

安島 若手のネタは全部ちゃんと練られているし、エンタメとして一級だと思います。僕とかは、単純に稚拙だった部分がけっこうありますから。それが今は、ぼんやりとした面白さにも、ちゃんとロジカルにメスが入って言語化されている。

「ここのフリが甘いから、こうしたほうがいい」とかって言葉で共有しながらネタを作ってると思うんです。僕らのときは、そのへんがなんとなくな部分も多かったと思います。

もし何かお笑いを作るとしたら自分に近い50歳前後のおじさんをテーマにしたお笑いをやりたいですね。それがテレビなのかライブなのかはわからないですけど、今のおじさんが笑って少し元気が出る感じの(笑)。

今回の本も自分を含めた腐ってるおじさんへのエールを込めて書いたところがあるんです。会社にいると、40歳ぐらいで〝60歳までの自分〟のストーリーが見えてきて「頑張ったとてこんなもんか」って感じがちじゃないですか。

そこは自分自身も解消されてないし、そう感じてる方がけっこういるんじゃないかなと勝手に思って。もちろん番組制作のエピソードにも触れてますけど、そんな方々に少しでも元気を与えられたらうれしいですね。

南キャン・山里とオードリー・若林を引き合わせた日テレの安島隆氏が振り返る「たりないふたり」誕生譚
「おじさんが笑って少し元気が出る感じのものが作りたい」と語る安島氏

「おじさんが笑って少し元気が出る感じのものが作りたい」と語る安島氏

●安島 隆(あじま・たかし)
1973年生まれ、東京都出身。1996年日本テレビ入社。ゴールデン帯から深夜帯、さらにライブまでヒット企画を演出する異端のディレクター。ライブと番組が連動したヒットコンテンツを多数企画・演出し、南海キャンディーズ・山里亮太とオードリー・若林正恭のユニット「たりないふたり」の解散ライブはお笑い単独ライブ配信史上最多の5万5000人が視聴。山里・若林を描いたドラマ『だが、情熱はある』ではふたりをつなげたプロデューサー役のモデルに。ほかにも、バナナマンラーメンズおぎやはぎの伝説的なユニット「君の席」、「潜在異色」なども手がける

『でも、たりなくてよかった たりないテレビ局員と人気芸人のお笑い25年〝もがき史〟』(KADOKAWA)
山里亮太と若林正恭を引き合わせ、ユニット「たりないふたり」を仕掛けた日本テレビディレクター・安島隆氏による初著書。その出会いから解散までを子細に語りつつ、ライブとテレビでもがいてきた歴史を振り返る。また、本書には山里と若林との対談も収録されている。出会った頃の話からライブの細かいエピソードまで、仕掛け人と出役の両サイドから見た「たりないふたり」の秘話が満載

南キャン・山里とオードリー・若林を引き合わせた日テレの安島隆氏が振り返る「たりないふたり」誕生譚
『でも、たりなくてよかった たりないテレビ局員と人気芸人のお笑い25年〝もがき史〟』(KADOKAWA)

『でも、たりなくてよかった たりないテレビ局員と人気芸人のお笑い25年〝もがき史〟』(KADOKAWA)

取材・文/鈴木 旭 撮影/渡辺凌介