AKB48 18期研究生八木愛月「両親がAKB48ファンで、...の画像はこちら >>

2005年(平成17年)12月8日に秋葉原で産声を上げたAKB48前田敦子高橋みなみ小嶋陽菜篠田麻里子大島優子指原莉乃ら数々のスターを生み出し、誰もが知る国民的アイドルグループとなった。

あれから10数年、元号は令和に変わり、また新たなスター候補生が続々と加入している。当時とは異なる状況で、彼女たちは何を思いAKB48になろうとしたのか? どこを目指すのか? フレッシュメンバーの魅力を深掘りインタビューでお届けです!

第1回は2023年(令和5年)4月9日に加入した18期研究生の八木愛月(やぎ・あづき)。昨年の10月に日本武道館で行われたAKB48コンサートでソロ曲を披露し、話題となったメンバー。前編はAKB48に入るまで。幼少時代から、AKB48との出会い、そしてオーディションなどを語ってもらいました。

■人一倍努力しないとできないコなんです

――子供時代はどんなでした?

八木 元気で常にケガをしているコでした(笑)。

うんていをやって落ちたり、おっちょこちょいで、お母さんによく叱られていましたね。骨折も1回あって、小3か小4の頃です。公園の平均台みたいなところに座って、背もたれがないのに後ろに寄りかかろうとして落ちて、手を着いたら骨が折れちゃいました。利き手だったので、反対の手で頑張って授業のノートを取るんですけど全然読めないみたいな(笑)。

――かなりアクティブな感じですね。よくしていた遊びは?

八木 みんなで鬼ごっこをしてました。

男女問わずに来れるコは集合みたいな。放課後に公園を2つ使って超大規模な鬼ごっこをやったり。

――「鬼ごっこやろうよ!」とか言うタイプ?

八木 私からは言わず、言い出した人に付いていくタイプ。やろうって言われたら断らない。今でも人を誘うことはあんまりできないです。

――兄弟はいますか?

八木 4個上のお兄ちゃんがいます。

昔は言い合いしてケンカしたり、よくあるような兄妹です。今は大人になって、靴を買ってくれたり、クリスマスプレゼントをくれたり、一緒にご飯に行ったり。お兄ちゃんとは仲が良いです。

――勉強はどうでした?

八木 小学校の時は本当にやらなかったんですよ。だから、すごいおバカでした(笑)。中学校も途中までおバカだったんですけど、高校入学を考えたらこのままじゃダメだって。

中2から本気で勉強を始めて、ちょっと真面目になりました。

私って、ちゃんとやらないと絶対に点数を取れないんです。勉強しないで点を取れる人もいるじゃないですか。私は人一倍やらないと人並み程度の点数が取れない。高校の時も人の倍やって、やっと平均より上の順位に行けるようになりました。

――でもちゃんと勉強をやろうとするのはいいことですよ。

八木 私の周りには頭が良くて尊敬できる友達が多かったので、ちょっと負けてられないっていう、負けず嫌いが発動して頑張りました。ライバルがいなかったら勉強をやらなかったかもしれない。周りの環境が大きいですね。

AKB48 18期研究生八木愛月「両親がAKB48ファンで、大島優子さんを母と推していました」【新連載 なんで令和にAKB48?】
八木愛月

――学校で委員会活動とかしてました?

八木 飼育委員をやりました。ウサギのご飯をあげたりするんですけど、めっちゃ人気で、小学校6年間で1回しかできなかったです。あとはお花係、学校はお花が多くて大変なんですよ。

たまに朝早く行かなきゃで、そんなに人気なかったです。

――部活は何をやってたんですか?

八木 中学は硬式テニス部です。オリンピックとかでもテニスを見るのがすごい好きだったんです。部員はけっこういて人気の部活でした。レベルによってABCDってチームに分かれるんですけど、私はAチーム。学校代表として団体戦の試合に出ていました。

でも私たちの地域は硬式テニス部が3校ぐらいしかなくて、そこでは勝つけど都大会には行けないぐらい、あんまり大会で頑張ろうって学校ではなかったですね。

――高校の部活は?

八木 ダンス部です。もともとダンスは小5から小6ぐらいにちょっとだけかじって、リズムを取るとか、楽しく踊るぐらいはやっていたんです。ずっとアイドルを見るのが好きで、私も踊りたいなって思ってダンス部に入りました。

そこではヒップホップを全体でやったり、私が所属していたのはガールズって、女のコっぽい振り付けをしたり。

――大会に出たことは?

八木 ちょうどコロナの時期で、3年間一度も大会がなかったんです。みんなに見せる機会は校内のサマーライブとか、スプリングライブとか。外の人に向けてはやれませんでした。

■アイドルは見るものだと思ってました

――AKB48はいつぐらいから知ってました?

八木 もうずっとです。両親がAKB48を好きで。お母さんがパソコンで『ヘビーローテーション』を見てるのを、「可愛い~!」って横から眺めてました。

――両親はアイドル好きなんですか?

八木 好きなのはAKB48だけだと思います。誰でも知ってるアイドルで、流行に乗っかって好きだったんだと思いますね。

――握手会やライブは行ったことある?

八木 握手は小学校の時に「行きたい! 行きたい!」って、ずっと言っていたんですよ。「大島優子さんに会いたい!」って。でも、危ないからダメって。今思えば連れて行ってくれても良かったのに......。グッズは家にたくさんありました。お父さんは篠田麻里子さん推しで、私とお母さんは大島優子さん推し。

――大島さんのどこが好きだったんですか?

八木 とにかく笑顔がすっごい好きでした。DVDを買って、優子さんのセンター曲とか、好きなシーンを繰り返し見るぐらい。たまに変顔したり、見ているこっちを笑顔にしてくれるんです。

――大島さんの卒業はどうだったの?

八木 ちょうど紅白歌合戦(2013年12月31日)の卒業発表を見て、家族みんなで悲しんだのを覚えています。優子さんが卒業しちゃって、そのあとは箱推しになりました。

――大きくなってもAKB48はチェックしてたんですか?

八木 もともとアイドル全般が好きで、AKB48は新曲が出たら絶対チェックするし、ライブ映像とかDVDもちょこちょこ買ったり。他のアイドルはYou Tubeで見るとかはしてたけど、買ったりはなかったですね。やっぱりAKB48の曲が好きだったし、衣装も好きで、ずっと見てました。

――やっぱり握手会やライブは行かなかった?

八木 現場に行くとかは考えてなかったです。画面で見るばっか。あと勉強を頑張ってたので、あまりチェックしなくなったかもしれないです。

AKB48 18期研究生八木愛月「両親がAKB48ファンで、大島優子さんを母と推していました」【新連載 なんで令和にAKB48?】
八木愛月

――2022年におよそ4年ぶりのAKB48 17期生オーディションがありました。それは受けたんですか?

八木 受けてないです。その頃はまだアイドルは見るものだと思っていました。でもだんだん、やってみたいと思うようになって。高3の受験が終わった後で時間ができて、またアイドルの動画を見るようになった時に、AKB48の18期生オーディションが発表されたので応募しました。AKB48はちっちゃい頃から見ていた憧れのグループだったので。

――そこまでして受けたAKB48のオーディションはどうでした?

八木 すごい緊張して、何をやったか覚えてないんです。ただ自己アピールで頭を振りました。特技に頭を振ることって書いたら、やってくださいって言われて、頭をくるんって回しました。部活のダンスでそういう動きをやってたんです。

――でもそういったアピールが届いて合格しましたね。

八木 両親は受かると思ってなかったらしく、すごいびっくりしてました。LINEで「受かったよ」って報告したら、すごいすごいすごいって、スタンプがたくさん。お披露目があって友達からもいっぱい連絡が来ました。(次回に続く)

【新連載「なんで令和にAKB48?」は毎週月曜日更新 八木愛月がAKB48に入ってからの驚きや苦労を語る後編は3月25日公開!】

AKB48 18期研究生八木愛月「両親がAKB48ファンで、大島優子さんを母と推していました」【新連載 なんで令和にAKB48?】
八木愛月

●AKB48
2005年(平成17年)12月8日、秋葉原のAKB48劇場で1期生お披露目。
2022年(令和4年)5月4日に17期生、2023年4月9日に18期生、2024年3月17日に19期生がデビュー!
◯AKB48 63rdシングル『カラコンウインク』が好評発売中! 『AKB48、最近聞いたよね...~一緒になんかやってみませんか?~』(テレビ東京系、毎週火曜25:30~)に出演中! 最新情報は公式ホームページをチェック!

●八木愛月(やぎ・あづき)
2005年3月22日生まれ 東京都出身
身長160㎝ 
nickname=あづ 
公式X【@azuki_yagi0322】
公式Instagram【@azuki_yagi0322】

取材・文/関根弘康 撮影/篠田直人