39歳でR-1優勝! ピン芸人・街裏ぴんく「週プレはグラビア...の画像はこちら >>

R-1優勝・街裏ぴんくさん。怪奇すぎる「漫談モンスター」がつかんだ夢は、ウソか幻か?

今年3月に開催された『R-1グランプリ2024』で、見事優勝の栄冠を手にしたピン芸人・街裏ぴんく。

夢とも妄想ともつかない"ウソ漫談"を武器に、数々の大物芸人からも絶賛される実力派がついに獲得したメジャータイトル。くしくも4月1日、エイプリルフールにインタビュー!

■芸人を目指すきっかけは牛の頭!?

――街裏さんが芸人になったきっかけから教えてください。

街裏 ヒラタっていう仲がいい友達がいて、そいつは小学生のときからずっとお笑いをやるのが夢だったやつで。大学生のときに彼から「コンビを一緒にやってくれへんか」って誘われて。当時僕は決まった夢もなく、とりあえず大学に行こうくらいの感じだったので、 おもろそうやなと思ってスタートしたんですね。

――事務所に所属を?

街裏 初めての舞台が「プレステージ」っていう、吉本さんに入るためのオーディションライブで、2度目の舞台は『M-1』だったんですよ。

でも、僕らとしては吉本さんには面白い人がわんさかいるんで、違うところから戦う態勢を取りたいなって。

なのでとりあえずどこにも所属せずに3年ぐらいやったんですけど、結局解散してしまいました。

――解散はどうして?

街裏 僕が書くネタって支離滅裂なものが多かったんですけど、それがなかなか通らないっていうか。相方はもうちょっときっちりしたネタをやりたかったみたいで。そこで僕もフラストレーションがたまって「ひとりでやるわ」っていう感じですね。

――相方さんも納得した?

街裏 雰囲気は感じてたみたいで、話は早かったです。相方はお笑いやりながらラップもやってて、そっちのほうが好きなんちゃうかな?というのもあったんです。

ネタ合わせの最初に、自分で作ったオリジナルのビートを聞かせてくるんですけど、めちゃめちゃいい笑顔するんですよ。そのあと本筋のネタが始まると顔曇る、みたいな(笑)。

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街裏ぴんく

――ちなみに今聞いた「お笑いを始めたきっかけ」を街裏さんの武器である"ウソ漫談"で答えてもらうと、どうなるんですか?

街裏 あの、俺は小2で学校を辞めてるんですよ、義務教育と折り合いが合わなくて。「牛の頭を丸ごと持ってくる」みたいな授業があって、それがなんの授業かっていうのを先生が一切言わんかったことに憤りを感じたんですよ。

物わかりのいい学級委員長は「強いて言えばSTAYや!」って言ったんですけど、意味がわからなくて。だから先生の胸ぐらつかんで「辞めます」って。

そんなときに俺を救ってくれたんが、『週刊プレイボーイ』やったんです。

学校辞めてお金を稼がなあかんから、国会議事堂の前でメロンの皮かぶって指を鳴らすバイトやってたんですよ。まあ暮らすには十分で、加藤茶さんぐらいの生活はできてました。

そんなバイト帰りのデイリーヤマザキでたまたま週プレを手にしたら、松山千春さんの人生相談が載っていたので、俺も相談させていただいたんです。そうしたら、回答はひと言「辻利の抹茶」とだけ。

ページをめくったら、松山千春さんがアインシュタインみたいにベロを出してる写真が......。

「これぐらいひょうきんに生きていけ」ってことなんやなと思って、芸人になろうと決めたんですね。

■ザコシショウのアドバイス

――この唯一無二のウソ漫談が誕生したきっかけは?

街裏 ピンになった当初は1年くらいフリップネタをやってたんです。そのあと漫談を始めるんですけど、僕、ダウンタウンさんが好きで。特に『ガキの使い』のハガキトークのコーナーのファンで。

視聴者から来たハガキを浜田さんが読んで、松本さんがウソで話をしていくという。これが大好きで、録画を毎日のように見返してたんです。その影響があって、ファンタジーを紡いでいくっていうことに魅力を感じてたんですね。

で、そこから漫談の派生でファンタジーとか空想のほうに行くようになりました。でも、大阪でやっていたときはまったくウケなくて。

そんな時代を経て、あるライブでこのウソ漫談が僕の芸歴の中で一番ウケたときがあって「これ、いけるぞ」ってなって。そのライブはA先生(バッファロー吾郎A)とハリウッドザコシショウさんが、後輩たちのネタを見るっていう企画だったんです。

その後、ザコシショウさんがご自分で『R-1』に出られるタイミングで、芸人同士で「今年誰が『R-1』で来そうか」を予想したんですって。そこである芸人が僕の名前を出してくれたらしくて。

シショウもライブで見た僕を覚えてくれていて「ライバルとして戦うことになるかもしれへんから怖かった」って言ってくれたんですよ。僕みたいなもんでも脅威を感じていただいて恐縮な話なんですけど。

それからいろんな場面でアドバイスいただいたり、めちゃくちゃありがたい存在です。そのアドバイスも参考にブラッシュアップされて今の形になった感じですね。

――このエピソードもウソ漫談にしていただくと、どうなるでしょう?

街裏 自分の人生でおっきなこと決めるときって、俺はいつも『週プレ』なんですよ。たまたまインリン・オブ・ジョイトイさんのグラビアが載っているのを見て、見出しに「清少納言の末裔です」って書いてあったんですよ。それに感銘を受けて、もうウソでええんや、架空でええんや、デタラメしゃべったらええやないかって。

そんなときに、芸人として家庭裁判所でやる、という話になったんですけど、俺は最高裁判所でやるって言って、最高裁で答弁して、自分のしゃべりのうまさに気づいたんです。そこで傍聴していた上岡龍太郎さんが「マリアンぐらいうまい」って言ってくれて。それがうれしくてね。

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街裏ぴんく

――怖い夢を見た後みたいな気持ちになりますね。ちなみに、街裏さんは誰と同期なんですか?

街裏 今年で20年目なので、藤崎マーケット天竺鼠和牛モグライダー、ライス、サルゴリラあたりですかね。

――街裏さんは39歳で『R-1』優勝ですが、ご自身としてこの展開は早かったか遅かったか、どちらですか? ちなみにザコシショウは42歳で優勝、ほかの大会ですが錦鯉・長谷川さんは50歳、『キングオブコント』でサルゴリラさんは44歳で優勝しています。

街裏 これは今でちょうど良かったかもしれないですね。もっと早く優勝していたら、メディアに出られるようになったときに気持ちの余裕がないと思うんですよ。逆に今より遅いと、やっぱり体力的・精神的にきつそうだし。経験や体力で考えても、今で良かった気がします。

――「『R-1』には夢がない」といった意見も聞かれますが、ご自分が優勝という立場になって、どう思われますか?

街裏 それは個人の問題だと思うんですよ。まず、『R-1』には間違いなく夢があるんです。なんでかといったら、ゴールデンの番組でネタができて、しかも優勝すれば賞金500万円もらえるって、これは夢あることだと思います。

けど、これを誰の目から見ても「夢があるね」って思ってもらうには、やっぱり自分自身なので。どういうネタで優勝したのか、その後のメディアでどういう振る舞いをしていくのかっていうことにかかってくるんだと思ってます。だから、そういったことについて毎日嫁さんと会議してめちゃくちゃ考えてますね。

■優勝後に流した涙

――優勝して一番うれしかったことは何でした?

街裏 米粒写経の居島(一平)さんにはめちゃくちゃお世話になってまして、本当に命の恩人なんですが、優勝した後「嫁さんも一緒に飯食いに来い」って祝勝会をやってくれたり、先日も「おまえ、インタビューで読んだけどよ、借金あるんだって? 言えよ、せっかく優勝したのにそういうのあったら邪魔だろうからよ」って心配してくれて。賞金で支払いますから大丈夫ですってお答えして。

本当におこがましいんですけど、まさに師匠のような感じなんです。そんな大尊敬している居島さんが、僕が優勝したとき連絡をくれて「音も使わずおしゃべりだけのスタイルであの爆笑。くだらん雑音、アンチの雑音なんていっさい無視して、わが道を追求しろ」って。それを読んで、泣いてしまいました。あれはうれしかったですね。

――めちゃくちゃいい関係性ですね。そんな中恐縮ですが、最後になりますので、ちょうどいいウソで締めていただいてもいいですか?

街裏 じゃあ、週プレがもっと売れるための方法を教えてあげますよ。これは本当の話なんですけど、グラビアページを全部モーリー・ロバートソンにすれば売れるらしいですよ。ロバートソンは何人おってもいいですからね。最後ミルクボーイみたいになっちゃいましたけど(笑)。

●街裏ぴんく(Pink MACHIURA)
1985年2月6日生まれ 大阪府出身身長178㎝ 体重110㎏
◯『R-1グランプリ2024』第22代チャンピオン。『虚史平成』(TBS Podcast)を毎週金曜18時更新。第十七回 街裏ぴんく漫談独演会『一人』東京公演/5月19日(日)18時~(なかのZERO 小ホール)、大阪公演/5月25日(土)18時~(扇町ミュージアムキューブ CUBE01)にて開催! 公式X【@Machiura】

取材・文/関根弘康 撮影/武田敏将