6月18日、午前7時過ぎのペンシルバニア州フィラデルフィアは曇天だった。10日前に東京で統一バンタム級タイトルマッチに勝利し、WBC、IBF2冠チャンピオンとなった中谷潤人は、休息地にフィラデルフィアを選んでいた。
気温は24度。肌に当たる風が小気味よい。暦の上では初夏だが、蒸し暑さは感じない。中谷は、まだ観光客がまばらな時間に、当地のシンボルであるフィラデルフィア美術館前の階段を駆け上がった。
72段を上り切ると、ロッキー・バルボアの銅像が街を見下ろすかのように佇んでいる。1976年末に封切られた映画『ロッキー』はアカデミー賞3部門に輝き、米国内だけで配給収入5650万ドルの大ヒット作となった。次々に続編が制作され、『ロッキー』シリーズだけで6話、主人公の宿敵で、後に友情を育む元世界ヘビー級チャンピオンの息子のストーリーが描かれたスピンオフ、『クリード』も、3話が上映されている。
全米どころか世界有数とされる美術館の景観が汚れると、ロッキー像は設置場所が二転三転したが、現在は階段の下に大きなブロンズ像が、美術館玄関前の広場には小ぶりな物が置かれている。
2つの銅像を目にした2冠チャンプは言った。
「勇壮ですね。階段も広く、重みがあります。美術館も、とにかく大きいという印象です」
第1話でのロッキーは当初、ロードワーク中に階段を上がる際、息も絶え絶えだったが、トレーニングを重ねるに連れ、余裕を持って走り切れるようになる。

ロッキーに扮するシルベスター・スタローンは、脚本も手掛けていた。『ロッキー』が彼をスターダムに押し上げたが、それまでは役者としても脚本家としても泣かず飛ばすであった。
1975年3月24日、ボクシング史上最高の輝きを放った男、モハメド・アリがオハイオ州クリーブランドで世界ヘビー級タイトルの防衛戦を行った。挑戦者はチャック・ウェプナーという名のホワイトヘビー。35歳のウェプナーはファイトマネーではとても食えず、昼間は酒屋の配送ドライバー、夜は警備員として働きながらリングに上がるロートルだった。
ウェプナー戦の5カ月前、アリは圧倒的不利とされながらも、40戦全勝37KOで自身より7歳若いジョージ・フォアマンを8ラウンドKOで下し、7年7カ月ぶりに世界ヘビー級タイトルを奪還する。世界中から注目を浴びた一戦で金星を挙げたアリは、負けることなどあり得ない伏兵を選んだのだ。
ウェプナーと対峙したアリは、フォアマン戦よりも3.4キログラム重い体で、キレが無かった。チャレンジャーを舐め切り、十分なコンディションを作らなかったのだ。一方のウェプナーは持ち前の喧嘩ボクシングで、アリを追い詰める。第9ラウンドには右ボディーフックをヒットさせ、ダウンを奪う。
カリフォルニア州ハリウッドの劇場で同ファイトを目にしていたスタローンも、その一人である。激しく感情を揺さぶられたスタローンは、ウェプナーをモデルに3日と半日を掛けてタイプを打ちまくり、1本のシナリオを書き上げる。それが『ロッキー』である。
中谷は話した。
「僕は映画が好きで、ジャンルを問わずよく観るんです。『ロッキー』シリーズの第一作は、3~4回は目にしているんじゃないですかね。やっぱり、アメリカンドリームをテーマにした点がヒットの理由なのかなと思います。また、ボクシングという競技は、選手のストーリーというか、人間味が反映されると、より面白さが膨らみます。ボクシングを題材とした映画も、もちろんそうです」
スタローンは1946年7月6日、ニューヨーク州ヘルズ・キッチンで生を享けた。1957年、両親の離婚を機にフィラデルフィアへ移住し、母親とピザ製造業に就く新しい父の下で暮らした。
実の父、継父の両者と折り合いが悪かった10代のスタローンは、心を荒ませ、13歳までに14校から退学処分を受けている。そんな彼は、鬱屈した思いで近代アメリカ最初の首都、フィラデルフィアで過ごした。当地を熟知しているからこそ、細部にわたって絶妙な演出がなされている。今や、美術館の階段はフィラデルフィアを象徴する場として、連日、幾人もの観光客が走りにくる。

WBC/IBFバンタム級チャンピオンは言葉を続けた。
「自分も映画の舞台に本当に来たんだな、という思いです。階段の上から見るフィラデルフィアの街並みはとても綺麗ですね。目抜き通りに世界中の国旗が掲げられていて、独立宣言がなされた場所なんだと、改めて感じました。
『ロッキー』は、ファイトシーンにリアリティーが無いという声もありますが、僕はそんな風には感じません。試合に勝つということだけじゃなく、それに向かって頑張る姿が描かれていたからこそ、観る人の心を掴んだのではないでしょうか」
明日の朝食もままならない暮らしを送っていたスタローンが、自分のありったけの思いを脚本にぶつけたことについても触れた。
「お前なんか無名だと否定されたことがモチベーションになったそうですが、『何くそ!』という気持ちはすごく大事だと思うんです。僕自身も14歳で世界チャンピオンになると決めて、高校には進学せずにアメリカに渡ったわけですが、ネガティブなことを言う人もいましたよ。
スタローンは自分を貫き通したからこそ、成功したんですね。ボクシング映画ですが、ラブストーリーでもあって、恋人のエイドリアンに愛されながら闘う姿。彼女に認められる男になるんだというところも好きです。『自分は勝てる可能性はないかも知れないが、世界チャンピオンを相手に最後まで打ちのめされずに立っていられたら、単なるゴロツキじゃなくなるんだ』っていうメッセージに魅力を感じます」
スタローンは『ロッキー』第1作で、自身の胸の内を曝け出している。前座ファイターに過ぎないロッキーが絶対王者、アポロ・クリードに挑むことが正式に決まった折、老トレーナーのミッキーが、アパートを訪ねてきて「マネージャーとして私と契約しよう。必ず、役に立てる」と持ち掛ける。数日前、「もう、お前は用済みだ」と告げられ、ジムで使用していたロッカーさえ奪われていたロッキーは、その申し出を断り、吐き捨てる。
「10年前、あんたの助けが必要だった。でも、俺を見ようともしなかったじゃないか。関心がなかったんだよな」
スタローンは、この言葉を実の父親に向かって発したかったのだ。
「そういう言葉が、作品のクオリティーを高めているんでしょうね。作り手の思いが籠った作品であることが、全体を通して伝わってきます」
シナリオを完成させ、スタローンが売り込みを掛けると評判は良かった。
だが、スタローンは自らがロッキー・バルボアを演じることを絶対に譲らなかった。まさに、人生を懸けたのである。『ロッキー』が日の目を見なければ、もうセカンドチャンスは無い。この一本がヒットしなければ終わりだと、理解したうえで勝負に出たのである。
「スタローンは『ここまで闘ったのなら、負けてもしょうがない』っていうところまでやった訳ですよね。たとえ周りの人に刺さらなかったとしても、その人のやりたいことで、悔いがないところまでいけたというのは、正しい生き方だと感じます。仮に結果が出せなかったとしても、それも人生だと思います。
僕も14で人生を決めて、夢中でやってきました。今、何をすべきか? を常に考えてきましたね。
中谷も階段の上でシャドウボクシングをして、叫んだ。
「I will be the pound for pound KING!」
(明日配信の後編に続く)

取材・文・撮影/林壮一