小田原ドラゴン(おだわら・どらごん) 1970年、兵庫県生まれ。『僕はスノーボードに行きたいのか?』でヤンマガ月間新人漫画賞奨励賞を受賞。
24年9月から週プレNEWS(集英社)でスタートした小田原ドラゴン渾身の新作漫画『堀田エボリューション』。果たして小田原ドラゴンという奇才はどんな道のりを経て、本作品にたどり着いたのか。ジックリ語っていきます。
連載第17回は前回に続き小田原先生が"盟友"との濃すぎる20年をお話します。
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2024年7月8日、ひとりの愛すべき男がこの世を去りました。ライターの石川キンテツです。
彼との出会いは2005年。拙作『小田原ドラゴンくえすと!』(小学館・週刊ヤングサンデー)に登場するライターとしてでした。

不屈の名作『小田原ドラゴンくえすと』(小学館)
前回の連載第16回でキンテツの話をしたら、「感動秘話」みたいに言われたんですけど(笑)、今回はもうちょっと踏み込んで、石川キンテツってどんな男だったのか、ちゃんと掘り下げてみようと思います。
実はキンテツと『小田原ドラゴンくえすと!』で揉めたことがある。あの男、とにかく仕事をしない。最初のうちは真面目にやっていたんですけど、とにかくサボり癖がひどくて、ついに僕の方から「頼むからもう辞めてくれ」と言いました(笑)。
でもこの話、キンテツと仲の良かったクロちゃん(安田大サーカス)には、別の理由で伝わっていたらしくて。キンテツがよく指名していたキャバ嬢への告白を僕が漫画に描いたことで、恋が壊れたと。「せっかくイイ感じだったのに......もうドラゴン先生とは喋りません」とか言っていたと(笑)。いやいや、最初から可能性ゼロなのは誰の目にも明らかだったんですけどね。
キンテツは、本気で漫画化されなければ恋人になれていたって信じていました。景気のいい時期には「年間200万~300万円はキャバクラに使っている」と豪語していましたけど、最後まで"営業"を"本音"だと受け取る、そういう男だったんです(笑)。
昔、キンテツから「池袋にいいキャバクラがあるから行きましょう!」って誘われたことがあって。話を聞いたら、前に一緒に行った人が初日に"ビギナーズラック"で何かあったらしくて。でもそれって、単にその人がモテただけだろって説得したんですよ。「無理だよ」と。でもキンテツは一切聞く耳持たず......。案の定、ただの普通のキャバクラで、何も起こらず、ふたりでガックリ肩を落として帰りました。
一事が万事、彼はこんな感じ。晩年には国際ロマンス詐欺に引っかかって、200万円だまし取られていますからね......。
2024年6月11日、新宿にて会食する石川キンテツ氏(手前)と小田原先生
ただ、昨年6月にキンテツと最後に会食したとき、彼が「どうしても行きたい」とゴネてたセクキャバがあったんです(笑)。僕はそのとき婚約していたし、「いつでも行ける」と思って断ったんだけど......まさかそれが最後になるとは思ってなかった。
なので、キンテツがこの世を去って1年経った今月、供養の意味も込めて、合掌しながら行ってこようと思います。
《つづく》

『堀田エボリューション』(©小田原ドラゴン/集英社)は毎月第2/第4土曜日に更新。