アニメ「鬼滅の刃」で映画のみの公開としては第2作に当たる『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』が大ヒット中だ。ライターの武井保之さんは「本来、流血シーンや死体の描写がある『鬼滅―』は観客を選ぶはずだが、映画館にはファンが詰めかけている。
4年に一度のオリンピックのようなイベントとしての盛り上がりがある」という――。
■三部作第1弾は初日4日間で興収73.1億円
やっぱりアニメは強い。『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座(あかざ)再来』。7月18日から公開され、初日から4日間で興収73.1億円(動員516万人)と異例のスケールの大ヒットスタートになった。
公開3日間では、興収55.2億円(動員384万人)とオープニング成績、初日成績、単日成績で歴代記録を更新。国内歴代興行収入1位の記録を樹立した前作『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(2020年10月公開/404.3億円)の公開3日間の成績(興収46.2億円、動員342.5万人)を大きく上回った。
今年上半期のナンバーワンヒット作『名探偵コナン 隻眼の残像』(144億円以上)超えが確実視されるなか、この2作の違いから、異例のヒットの理由を考えてみる。
■「コナン」と「鬼滅の刃」の間口の広さの違い
どちらも人気漫画を原作にする長編アニメーション映画。『名探偵コナン』は謎の組織の毒薬によって小学生の姿になった高校生探偵が難事件を解決していく、謎解き推理サスペンス。子どもだけでなく、大人も楽しめる作り込まれたストーリーが人気になり、ファミリー層に加えて、とくに若い世代を含めた女性ファンが多い。幅広い層から厚い支持を受ける人気シリーズになっている。
同シリーズは、テレビアニメが定期的に放送されているほか、劇場版も毎年公開され、2023年以降は3作連続で興収100億円超え。
それをデフォルトにする驚異的な興行力の背景には、誰もが楽しめる作品性による間口の広さがある。
一方、『鬼滅の刃』シリーズは、大正時代を舞台に、人を食う鬼に親を殺された主人公・炭治郎が、その復讐と鬼にされた妹を守るために、鬼殺隊(きさつたい)の剣士として強くなり、鬼たちの殲滅に命をかけて戦う物語。コミカルな描写がはさみこまれるものの、鬼による人の流血を伴う殺戮シーンがあるほか、鬼殺隊が鬼の首を落とす戦闘が軸になり、全体的に重く陰鬱な世界観がある。
これまでに、テレビアニメと劇場版が交互に放送、公開され、劇場版第1作は前述の通り、歴代興収記録となる大ヒット。その後、テレビアニメを再構築した劇場版2作が2023年と2024年に公開されたが、それぞれ興収は41.6億円、23.1億円にとどまっていた。観客を選ぶ作品性から、コアファンのパイはこの規模と推測される。
■古典的なストーリーと定番フォーマット
ではなぜ、間口の狭い『鬼滅の刃』が、ホラー的な描写はなくファン層の広い『名探偵コナン』の興収を大きく上回るのか。劇場版の近作のデータからは、後者のほうがヒットすると考えるのが一般的だろう。しかし、今年の2作の結果は逆になる。
その理由のひとつは、まず『鬼滅の刃』のストーリーが、日本人に刺さる王道の古典的な活劇であること。親の仇討ちと家族を守るために戦う設定が物語のベースにある。
そこに、子どもたちや男性層が好きな、それぞれの特殊能力や必殺技を持つキャラクターたちの戦いが、ふんだんに盛り込まれる。
「努力」と「友情」による力が「勝利」をつかむ定番のフォーマットにのっとっている。
それは原作漫画が連載されていた『週刊少年ジャンプ』のテーマであり、『ONE PIECE』『呪術廻戦』など、多くの連載作品で共通する話の筋でもある。そんななかでのほか作品とは異なる『鬼滅の刃』の特徴は、子どもをターゲットにするソフトな描写もありながら、本筋では人の生死を色濃くにじませるハードな作品性だ。
■キャラクターの死から人生の意味を問いかける
今回の劇場版で強く感じたのは、ともすれば現代では見えづらくなっている「人の生死」に真正面から向き合っていること。ただ人を食う鬼と戦い、倒すだけの物語ではない。味方にも死は訪れるし、元は人間である鬼にも鬼になった理由がある。
本作で描かれる3つの戦いのなかでメインになるのが、上弦の鬼の1人である猗窩座と鬼殺隊の死闘だ。そこでは、猗窩座が鬼になる前のエピソードが戦闘シーンとともに映される。かつて人だった彼は、愛する大切な人たちを、人によって無惨に殺されたことから、鬼になる。そんな彼の過去に感情移入する観客もいるだろう。
しかし一方で、彼は鬼になり、たくさんの人を殺し、過去の自身と同じ思いを大勢の人にさせて苦しませている。前作で彼に殺された鬼殺隊の柱のひとり、煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)と彼の家族のことを思えば、彼が悲運の人生を生き、それがいかに過酷であったとしても、簡単には共感はできない。
だから、猗窩座に対して複雑な感情を抱く。
同時に、もし彼の大切な人が鬼に殺されていれば、彼は鬼殺隊に入り鬼たちを倒していたかもしれないとも考えさせられる。彼の生きてきた軌跡のどこかが少し違っていれば、その生きざまはまったく別のものになっていただろう。
そんな物語には、運命に翻弄される人の悲しさや、人生のはかなさを痛切に訴えかけてくる力がある。
鬼殺隊には、命をかけて鬼と戦う矜持がある。常に死と隣り合わせになる彼らの鬼気迫る姿や、過去を含めた生きざまを通して、人は何のために生きるのかを示している。キャラクターが直接、自分の人生を振り返って後悔や悲しみについて語り、そこから、われわれにいまを生きることの意味を問いかける。そんな物語だから、観客の心に深く響くのだろう。
■「3回泣ける」ストーリーに心を奪われる
もうひとつの理由が、“泣ける映画”であること。SNSでは3回泣いたという鑑賞者の声があふれているが、本作が描く3つの戦いそれぞれに泣きのポイントがある。
その3つとは、鬼殺隊の蟲柱・胡蝶(こちょう)しのぶと上弦の鬼・童磨(どうま)との戦いの結末、鬼殺隊の我妻善逸(あがつまぜんいつ)と彼の元兄弟子だが鬼となった上弦の陸・獪岳(かいがく)との戦いの後の出来事、そして前述の猗窩座の過去と彼の戦いのラストだ。
すべてのエピソードに、観客を深く感情移入させるストーリーと映像演出があり、そこに人の心を動かす力が宿っているから、涙する人が続出している。

観客の感情を激しく揺さぶる映画には、名作やヒット作が多いが、昨今は泣ける映画がヒットする傾向がある。
今年だけでも、実写映画では『366日』(興収25億円)、『ファーストキス 1ST KISS』(興収30億円弱)が、公開週を重ねて興収を伸ばすロングヒットになっている。タイプは異なるが、どちらも観客が登場人物に感情移入して泣けるストーリーの作品だ。
そんなムーブメントの裏には、世界中を覆う不穏な空気や、誰もが生きづらさを感じるいまの時代性や社会背景もあるだろう。現実から離れるほんのひと時、作品の世界に没頭し、感情を激しく揺さぶられることに気持ちよさがあり、開放感を得られる。そんなエンターテインメントがいまの社会に求められており、そのひとつが「泣ける映画」だ。
■破格の規模のイベントムービー化
そして、最大の要因は、破格の規模のイベントムービー化していること。興収100億円を超える映画は、もともとのファン層だけでなく、SNSやネットニュースをはじめとした世の中的な話題になり、一般層を動かす社会的イベントになっている。
もちろん劇場版『名探偵コナン』もそのひとつだ。しかし劇場版『鬼滅の刃』はその規模が違う。前者が毎年春夏にファンが盛り上がる「高校野球・甲子園」なら、後者は4年に一度国民が熱中する「オリンピック」。夏になれば毎年みんなが行く花火大会とも同じ。
映画にもアニメにも興味がなくても、世間が盛り上がっているから観ておかないといけない。そんなイベントムービーになっている。
では、なぜ『鬼滅の刃』だけがそこまでのスケールのイベントムービー化したのか?
■劇場版第1作はコロナ禍に公開され大ヒット
振り返れば、第1作『ー無限列車編』(2020年10月公開)のインパクトに尽きる。コロナ禍という特殊な状況下でさまざまな要因が重なり、人々の心を動かすエンターテインメントの象徴となったことで、先の見えない不安な社会で生きる希望や勇気につながった。
エンターテインメントのヒット要素のなかでは、運やタイミングが何より大きい。もし、前作の公開がコロナ前だったら、ここまでのヒット規模にはなっていなかったかもしれない。逆に言えば、そういう“引き”がある作品こそ後世に残されていく。
ただ、もちろん作品自体の力が伴わなければ、その運も活かされない。前作の社会現象的ヒットの背景には、コロナ禍による作品枯渇とシネコンスクリーン占拠という追い風の影響が大きくあった。同時に、それを上回る圧倒的な作品の力が備わっていた。他に類を見ない映像美と、強烈なインパクトのラストに象徴される作品の素晴らしさが、人々の心をわしづかみにした。
前作は、時代背景、社会情勢、作品性などの要素すべてがかみ合ってヒット規模がケタ外れに大きく増幅され、時代を代表する作品になった。
かつてないほどの計り知れない力が働いていた。それらを含めたすべてが、作品の宿命であり、めぐり合わせだったのかもしれない。
■誰もが称賛しているわけではない
そんな『ー無限列車編』に続く今回の映画が、その流れを受け継いだ近年を代表するヒット作になっていることは間違いない。しかし一方で、誰もが称賛しているわけではない。明るいアニメが好きで陰鬱な世界観が苦手なアニメファンもいれば、155分という上映時間を苦痛に感じる人たちも少なからずいる。SNSでは前作のほうがよかったという一部ファンの声もある。
それでも、圧倒的多数に支持されていることは数字が示している。話題作やヒット作には賛否がつきものだが、それは作品にとって決してマイナスではない。これからの興行を含めた作品の成り行きにプラスに働いていくだろう。
『ー無限城編 第一章』は完結へ向けた三部作の第1章であり、次作につなげる見事な終幕だった。この先の2作でも、この盛り上がりが生まれることが期待される。まずは今作が最終的にどこまでのヒットになるか注目が集まる。

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武井 保之(たけい・やすゆき)

ライター

エンターテインメントビジネス・ライター、編集者。音楽ビジネス週刊誌、芸能ニュースWEBメディア、米映画専門紙日本版WEBメディア、通信ネットワーク専門誌などの編集者を経てフリーランスで活動中。映画、テレビ、音楽、お笑いを中心にエンタテインメントシーンのトレンドを分析や考察する。

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(ライター 武井 保之)
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