ニューヨークの地下鉄を走っていた「ブライトライナー」の引退に...の画像はこちら >>

今年こそアメリカに帰国したい
『週刊プレイボーイ』で連載中の「ライクの森」。人気モデルの市川紗椰(さや)が、自身の特殊なマニアライフを綴るコラムだ。
今回は、ニューヨークの地下鉄を走っていた「ブライトライナー」の引退について語る。

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前回は、京浜急行川崎駅から撤去される、関東最後のフラップ式列車発車案内表示装置、通称"パタパタ"の話題を取り上げ、世界のパタパタ事情にも触れました。しかし、さらにショックなことがありました。1月8日、「ブライトライナー」の愛称で米ニューヨークの地下鉄を走っていた車両・R32が引退しました。1964年から製造されたブライトライナーは、世界的にも古い世代の車両。ラストランについての記事がアメリカ在住の父から送られてきましたが、パンデミックのせいで見納めができず、しょんぼりしています。

64年といえば、最初の東京五輪の年。夢の超特急として0系新幹線がデビューし、日本の経済発展の基礎がつくられました。アメリカではベトナム戦争がエスカレートし、ヒットチャートはビートルズとモータウンサウンドが席巻。そんな背景で生まれたブライトライナーは、初めてニューヨーク(おそらくアメリカ全体)で量産されたステンレス車両。それまでの車両より約1.8tも軽く、今では当たり前となった銀色の外観も当時は画期的で斬新でした。

近未来的なデザインが曇りの日でもキラキラ光り、58年も愛されてきました。

銀色が波打つような車体に、ドアだけ青のカラーリングは、今見てもすてき。日本だと、今春にデビューする京都市営地下鉄の新型車両やJR九州821系など、扉だけ違うカラーリングの車両が全国を走っているので、いかにこのデザインセンスが現代にも通じるものなのか実感させられます。

車内も無駄のないミニマルな内装が印象的でした。モケットのないグラスファイバーむき出しのロングシートは、お尻には決して優しくなかったものの、アメリカの地下鉄では珍しい前面展望のつくりで、どうせずっと立っていたので問題なしでした。

ちなみにメーカーは、世界的に有名なステンレス車両のパイオニア・ゼファー(32年)を製造したアメリカのバッド社。62年から量産された日本初のオールステンレス車両・東急7000系は、東京急行電鉄とバッド社の技術提携によって誕生しているので、日米の鉄道史が交差する楽しさを感じます。

気になる車両たちの引退後は、さまざまのよう。ニューヨーク交通博物館で展示される2両、対テロ訓練用にNYPD(ニューヨーク市警察)に譲渡された2両、脱線事故の対策用にコニーアイランド車両基地に送られた2両、そして鉄道の保存会が引き取った2両までは調べられましたが、ほかは不明。

2008年、一足先に引退したブライトライナー44両は、人工魚礁としてニュージャージー州の海に沈められました。残りの車両も同じ運命をたどるかと思いきや、どうやらブライトライナーたちは予想外に海中で分解してしまいもう消えてしまったので、その計画はとっくに中止になったみたいです。うう、いろいろと心苦しい......。

同時に沈められた戦車やほかの鉄道車両はちゃんと人工魚礁として機能しているので、不思議な写真が見たい方は探してみてください。

サンゴと海藻に覆われ、魚とロブスターが乗客になった地下鉄(海下鉄?)風景がご覧いただけます。

●市川紗椰
1987年2月14日生まれ。愛知県名古屋市出身、米デトロイト育ち。父はアメリカ人、母は日本人。モデルとして活動するほか、テレビやラジオにも出演。著書『鉄道について話した。

』が好評発売中。R32引退セレモニーの混雑緩和策として、路線別のラストラン、数週間にわたる週末の記念運転を実施。日本でもマネしてほしい。
公式Instagram【@sayaichikawa.official】