僕は上京した18歳から26歳の現在に至るまで、仕事が続かず様々な職場で働いた。その中でも比較的長く働き、多くの経験をしたのがラブホテル清掃だ。
ラブホテルでの経験なんてせいぜい単調な清掃業務だけだろうと思われがちだが、実は面倒な場面も多い。例えば泥酔客の対処、部屋前でのコスプレなどの貸し出し、AV会社やオトナのお店からの電話対応など、細々と色々やらされる。
とはいえ、都内でも屈指の回転率の悪さを誇るであろうラブホテルだったので、平日のほとんどはお菓子を食べながら昼ドラをぼんやり見ているだけだった。そんな環境にも関わらず従業員はほとんど定着せず、一部の古株社員を除けば僕が働き出してから退職するまでの2年間で残っていた人間はひとりもいなかった。はじめはなぜ人がやめるのか理解できなかったが、働くうちに段々とここにいてはいけないと考えるようになり、結局僕自身も退職に至った。

そんなどこか問題のあるラブホテルの内側を実際にラブホテルで起こった出来事や同僚を交えて伝えていきたい。

ラブホテルに来た“垢抜けない20代の男女”が、「チェックイン...の画像はこちら >>

部屋に残された『ゼクシィ』に注目していた

客が入った後の部屋には様々な“モノ”が残されている。コスプレグッズに大人のおもちゃ、香水や装飾品、イヤホンなど枚挙にいとまがない。時には愛の手紙や花束、手作りっぽいお菓子などが床にぶちまけられている悲壮感漂う現場もあった。部屋の状況から在室時のシチュエーションを考えるのは息抜きにもなっていた。中でも僕が特に注目していたのが『ゼクシィ』だ。

ご存じの通り、ゼクシィは結婚に必要な知恵や様々なエリアの結婚式場などが網羅されている情報誌。当然、結婚を意識したカップル以外には必要がない。
つまりゼクシィが残された部屋を使っていたのは、結婚秒読みのカップルだと想像できるわけだが、実際は必ずしもそうではない。こう言い切れる理由は付録としてついている“婚姻届け”にある。

結婚するとなった場合、役所で婚姻届をもらうのが多数派だろうから、そもそも“付録婚姻届”の出番は少ないはずだ。部屋に残されているゼクシィも婚姻届が使われていない状態で残っていることが大半だが、まれにゼクシィの傍らに残っているのだ。片方の欄にだけ署名、押印までされた婚姻届が……。

ビリビリに破かれた『ゼクシィ』が部屋中に…

ある日の昼間、少し垢抜けない20代の男女が受付を済ませ部屋に入っていった。月に数回見る常連なので、スタッフは全員彼らの顔をなんとなく顔を知っていた。彼らが恋人同士なのか夫婦なのか、それとも不倫カップルなのかと、いつからか賭けるコンテンツになっていた。だが、コンビニ袋からちらっと顔を出したゼクシィによって、ようやく正解が出た。

きっと、部屋で式場を決めたり、今後の段取りを確認したりして帰るんだろうなと微笑ましく思っていたが、その30分後にシャツがヨレヨレになった男が走って出ていった。そして壁の薄いラブホには女が号泣する声がしばらく響き渡った。一生を添い遂げようとしていた相手との別れがこうもあっけないとは、人生はやはり青天の霹靂の連続だ。泣き濡れた女が鍵を返しに来て清掃のために部屋に向かうと、ビリビリに破かれたゼクシィと、婚姻届の切れ端が部屋中に広がっていた。


「ごめん、他に好きな女ができたんだ!」とか「お前と結婚なんかしないよ」とでも言わなきゃこうはならないだろう。きっと近いことがあったのだろうことを想像して心を痛めながら、明るい未来を創るはずだった切れ端を拾い集めてゴミ袋に捨てた。

真っ赤なバラの花束を持った「初老のサラリーマン」

初老のサラリーマンが、真っ赤なバラの花束を片手に一人で来店した時の話も印象深い。一人客は、大抵店から嬢を呼ぶので、花束は嬢に渡すものだろう。これが“痛客”ってやつかと感心したのを鮮明に覚えている。

その10分後に「304号室でーす」と言ってフロントを通過する嬢。そうして数時間経った頃、先に嬢が足早にフロントを通過して出ていき、それから数分経って背を丸めたサラリーマンが鍵を返却して出ていった。清掃開始のアナウンスが休憩室に流れ、304号室に広がっていたのは、衝撃の光景だった。

床に叩きつけられた花束と安物のアクセサリーの箱、中途半端に記入された付録の婚姻届、挙句の果てにゼクシィは無残にもゴミ箱に投げ込まれていた。まるで魔法陣のような配置で部屋に散乱しており、すっかり修羅場のあとのようであった。落ちている婚姻届を拾いあげるとやはり男性側の名前だけが記入されていて、記入日の記載が2週間前だったことからかなりの準備をしてきたことがわかった。

その熱の入りように、僕は一瞬でも彼を痛客などと思ってしまった自分を恥じた。ああいう純粋さを孕んだ愛こそが現代に足りないのかもしれない。
愛をもってして成し遂げられないことなどこの世には存在しない。もっとこのラブホテルで嬢との愛を育んでプロポーズに再チャレンジしてほしかったが、結局二度と彼の姿を見ることはなかった。

これらの出来事を目にした僕は、ラブホテルにおけるゼクシィは不幸の象徴だと思い込んでしまっていった。自分に結婚したい相手ができてもラブホでゼクシィを読むのはやめようと固く誓ったほどだ。

もちろん時には“成功例”も

また別の日に、若くてお洒落な初見カップルが部屋を出て行った。その部屋の清掃に向かうとガラステーブルに巻末の開かれたゼクシィが置かれていて、付録の婚姻届が綺麗に切り取られていた。ゴミ箱やベッド下にも婚姻届は見当たらず、それが持って帰られたのだとわかった時、開け放った窓から差し込む陽の光が僕の心と身体を優しく包み込んだ。もちろんそれが幸福な結果になったとは限らないが、そんなことはどうでもよかった。

それから数週間後、そのカップルが来店した。ふたりの薬指には細身でシンプルなシルバーの指輪がついていて、彼らがカップルから夫婦になったのだと確信させた。今でもコンビニでゼクシィを目にするたび、あの指輪の輝きを鮮明に思い出す。

あなたにはゼクシィを一緒に読みたい誰かがいるだろうか。
もしかしたら次のラブホデートにゼクシィを持ち込もうと思っている人もいるかもしれない。その選択がふたりの幸福な未来へ繋がることを信じている。

<TEXT/千馬岳史>

【千馬岳史】
小説家を夢見た結果、ライターになってしまった零細個人事業主。小説よりルポやエッセイが得意。年に数回誰かが壊滅的な不幸に見舞われる瞬間に遭遇し、自身も実家が全焼したり会社が倒産したりと災難多数。不幸を不幸のまま終わらせないために文章を書いています。X:@Nulls48807788
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