埼玉県に住む、里奈さん(仮名・28歳)も、そのうちの1人で、アルバイトをしながら実家で生活している。しかし、幻覚、妄想、思考障害、緊張症状、奇異な行動などが現れた頃は、思い出すのもつらいほど怖かったと振り返る。
生きづらさからリストカットにハマる
彼女が診断されたIQは88。境界知能と言われるIQ70~84の人よりは高いが、時には福祉の支援が必要となるグレーゾーンの数値だ。小さい頃から、周囲の子と同じように整列できないなど、里奈さんは生きづらさを感じていた。両親と祖母、兄の5人家族に産まれ、両親は共働きで忙しく、彼女のつらさに気づいてくれなかったという。「高校生になる頃には、リストカット(以下、リスカ)を繰り返していました。血が出ているのを見ると、『生きている』と感じられました。保健室登校をしていて、保険医の先生がリスカの跡に気づいてくれ、親にバレました。その時に精神科病院を受診し、重度のうつ病と診断されました」
彼女は、果物ナイフを常に携帯していて、つらくなるとトイレでリスカをした。
「痛みでストレスから解放されました。
そう振り返る彼女の腕には無数のリスカの跡があった。その時に、保健医だけが彼女の心の痛みを受け止めてくれ、臨床心理士のカウンセリングにも繋いでくれた。その心理士の元には今でも通院している。
両親に理解はなく、父は保健室登校する彼女の枕を蹴り「誰がお金を払っていると思っているんだ」と責め、母も祖母も「五体満足で産まれたのに何てことをするんだ」と怒った。
その後、担任の先生の理解もあり、最低限の授業にだけ出席し、里奈さんは高校を卒業した。
高校卒業後も就職先ではミスを繰り返しパワハラに

「漢字の間違いが多かったので、就業時間外に漢字の練習をさせられました。また、高校の通知表を見て、成績の低さを責められました。それまでアルバイトもしたことがなかったので、それが普通だと思っていました。食事も取れなくなり、嘔吐するようになりました」
耐えきれなくなった彼女は、両親に頼んで3か月で退職する。両親からは「これからどうするんだ?」と言われるも、焦るばかりだった。
3か月休んだ後、パン工場でパートをするが、上司と合わずに1か月で会社を辞めた。
「電話で辞めると伝えましたが、ものすごく怒鳴られました。怒鳴られながら辞めるのが普通なんだと思いました。どうしよう、働くのも生きるのも向いてないと絶望しました」
数か月後に大手コーヒー店にアルバイトとして勤務することになるが、仕事中に怒鳴られ泣く彼女に、店長の女性だけは優しかった。そのバイトは1年続いたが、店長が異動になり辞めた。だけど、里奈さんは珈琲の勉強をしたいと思い、誘ってくれた先輩男性に声をかけられ、20歳の時に、正社員として家族経営のコーヒーショップに転職した。
温かかったコーヒーショップの人間関係

4月に正社員になった彼女は、5月に男性に告白したが振られた。しかし、お笑いライブのネタがきっかけで両思いと思い込み、妄想や幻覚(統合失調症の症状)が現れ始めた。爆発した恋心から大量のLINEを送り、隣人を彼と思い込んでラブレターを20~30通投函し、さらには彼との子を想像妊娠までした。
「怖くて怖くて、ほとんど眠れませんでした」
2022年7月8日の安倍晋三銃撃事件の際、犯人が「旧統一教会(世界平和統一家庭連合)への恨みから教団との関係が深い安倍を狙った」と供述したことで、旧統一教会が自分を狙っていると被害妄想に陥る。近所の駐車場で銃撃戦が行われていると思い込み、母が若い頃に旧統一教会の信者だったことを知ったこともあり、恐怖から1人暮らしのアパートを財布と携帯だけを持って出た。仕事に行かなくなり、キャリーバッグを持って各地を借金しながら逃げ回った。だが、定期的に受けていたカウンセリングで心理士が異変に気付き、親に連絡。3週間の逃避行が終わり、精神科病院で治療を始めたが、薬が効くまでは旧統一教会に囲まれたと思い込み、親とも会えなかった。
「LINEは途中から、その彼にはブロックされていたようです。隣人にも迷惑をかけましたが、幸い、警察沙汰になることはありませんでした」
統合失調症は、自分が病だと自覚できない病識のない病だ。当時の彼女にとっては、全て現実に起こったことだと感じられたという。
「怖くて怖くて、ほとんど眠れませんでした。数時間置きに目が覚めてしまいました」

過去を思い出し死のうとしたことも

「私はこんなことをしてしまったと思うと、恥ずかしさから、ロープを購入しようと考えたこともあります。だけど、同時に、まだ生きたいと思いました」
自殺を踏みとどまった里奈さんは、逃亡中にできた100万円近い借金も、親に返してもらい実家に戻ることとなった。現在は、薬で症状を抑えつつ穏やかに暮らしている
同じような病を抱える人や周囲の人たちに伝えたいことを聞いた。
「私もこれだけおかしなことをやってしまったから、あなたも大丈夫。
周囲に恵まれていた彼女は、現在は元の職場でアルバイトとして働いている。オーナーの懇意で、現在は、週3日8時間はコーヒーショップで、週2日はピザ屋でアルバイトをするまでに回復した。だが、里奈さんのように理解ある支援者に巡り会えない人も多く、精神医療や家族教育の充実が求められている。
両親には理解してもらえなかった里奈さんだが、学校やアルバイト先の人など、他人に救われた彼女は、今も病気を抱えながら前向きに生きている。病気の回復に一番必要なのは、周囲の理解なのかもしれない。
<取材・文/田口ゆう>
【田口ゆう】
立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1