実の父が行った鬼畜の所業
マオさんが生まれる以前、母親はいわゆる夜の飲食店を営んでいた。そこに転がり込む形で同居したのが父親だったという。「土建屋をやっていた父は、母のことが気に入って住み着いたと聞いています。その家には母の姉、前夫との子どもがいました。実は、父がこの2人とも性的な関係にあったらしいのですが、かなりあとになって母は知ったようです。父は、当時就学前だった母の連れ子を犯したことになります。また伯母には知的障害があり、性被害だとわからなかった可能性があります。その後、父と母の間に生まれたのが私でした」
マオさんにとって父違いにあたる姉は、10歳ほど年が隔たっているにもかかわらず、常に敵愾心を向けてきたという。
「当時はなぜ、私に対してあたりがきついのか、理由は判然としませんでした。
「絶対的な権力者」のもとで崩れていく家庭
姉の精神は目に見えて崩壊していった。だが両親は子どもにまるで関心がない。マオさんが幼い頃から、特に父親は絶対的な権力者だった。「食べ物は、誰よりも父が先に食べます。例外はありません。たとえば仕事で父親が遅くなると、家族全員で待たなければなりません。父に来客があれば、私たちはお客さんが帰るまで食べることは許されません。父と母がパチンコに行った日は、子どもたちはご飯はありません。すべてが父親を中心に回っている家庭だったので、子どもが意見を言うなどは考えもしませんでした」
だが唯一、子どもながらに父親に対して抗議をした姉の姿を覚えているという。
「父はそのときの気分で犬を買ってきました。しかし何かしら気に障ることがあると、その犬はいなくなってしまうんです。おそらく、どこかへ捨てたのだと思います。私が記憶しているだけでも、5匹ほどの犬が我が家には来て、どこかへ消えていきました。
冷蔵庫の中にあった「見慣れないもの」の正体は…
父親との間に諍いが絶えなかった姉は、未成年でフィリピンへ飛んだ。「フィリピン人との間に子どもができたことで、姉はフィリピンでの結婚生活を選びました。もちろん父への反抗心もあったでしょうけど。ところが直後に夫が覚せい剤で捕まり、シングルマザーとして帰国しました。少しの間は実家にいましたが、父と折り合いが悪いため、他県へ引っ越していきました」
マオさんが姉の精神的な不調に気づいたのはこの頃だという。
「姉は飲み屋の仕事へ行くといって、平気で甥を放置したまま夜から朝まで働きに出てしまいます。そのときはもう、私も子育てをしている身でしたが、甥が不憫なので何とか手伝いに行っていました。あるとき、姉の家にある冷凍庫を開けたら見慣れないものがありました。聞いたら、姉は平然と『飼っていたフェレットだよ』と答えたのです。
時系列が下ると、姉はさらに瓦解していく。
「甥が公園で寝泊まりしているという話を聞いて、私が迎えに行ったこともあります。姉に電話を入れると、なぜか怒り出し、『そんなに心配ならあんたが母親になりなよ。今日からあんたが母親ね!』と一方的に怒鳴られました。さすがにこの状況を放置するわけにはいかないので、私は甥を連れて実家で一緒に暮らすことにしました」
学校で「くさい」といじめられていた
姉は常軌を逸しているが、諸悪の根源は父親にあるとも考えられる。父親が強大な権力を振りかざす一方で、子どものケアは一切おこなわれない。マオさんがいつも向き合うのは、幼少期の自分だという。「学校でいつも『くさい』といじめられていました。我が家はアルコールとタバコが充満していて、そのにおいを纏ったまま登校していた私は、明らかに異物だったんだと今は思います。だから、子どもの社会でも排除され続けたのでしょう」

「最初の結婚では学歴がないことを理由に義実家から反対され、駆け落ち同然で元夫と暮らしました。しかし元夫の不倫、義母の横領などがきっかけで婚姻生活は破綻しました。
自宅はライフラインが止まっていて、私はその状態で乳飲み子と育ち盛りの小学生を育てなければならず、実家に身を寄せることになりました。こうした一連の出来事によって、自律神経失調症と突発性難聴を発症し、働くことができない期間もありました。何もかも信頼できず、今思い出しても人生のなかでつらい時期でした」
なぜ、妖怪の刺青を彫るのか

「もともと刺青には憧れていました。母のきょうだいは全員ヤクザだったのですが、東北地方で組長をやっていた伯父が亡くなるときのことを私は未だに覚えています。そのとき保育園に通っていた私は、病院で横たわる伯父の腕に般若や鯉が彫ってあったのを見ました。和彫りへの特別な感情は、このときはっきり自覚しました。
なぜ妖怪を中心に自らの身体に彫るのかを私なりに考えてみたのですが、自身の投影なのではないかと思っています。確かに小学生の頃の私は、清潔ではなかったと思います。それが小学生からみて異形だったことは間違いないでしょう。
どうしても人を嫌いになれない
現在は別の男性と結婚し、幸せな日々を過ごすマオさん。彼女は最後に笑ってこう話した。「さまざまな経験をしたのに、どうしても人を嫌いになれないんです。何回も裏切られているような気がするんですが、それでも、誰かに頼られたら役に立ちたいと思ってしまうんです。母からも『騙すくらいなら、騙される人になりなさい』と言われていて。今も大切に思っている言葉です。
こうした外見でも医療に従事させてもらえているのは、私が人に接することが好きで、丁寧に仕事に向き合ってきた結果だと思っています。幼い頃に考えていたより、世界が悪いものではないなと感じています」
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マオさんは数奇な運命に翻弄された。
時折、昔話には人懐っこい妖怪が登場する。人間から疎まれ、蔑まれても、健気にありったけの愛情を差し出し続ける。私たちは時として外見だけに目を奪われるが、取り繕いのなかに真実はない。心を見ようと思ったとき、何をすればいいか。マオさんの生き方が教えてくれるような気がする。





<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki