世の中は、なぜか田中圭に甘い。
『週刊文春』による、田中圭と永野芽郁の熱愛・不倫疑惑。
双方流出した写真や部屋への行き来は認めるものの不倫行為については否定、疑惑を生じさせたことについて謝罪した。

 もちろん当初から批判や失望の声も多くあがった。それぞれのCM動画が削除されるなど、じわじわ影響も出ていることはたしかだ。

 しかしそれ以上に、責める声よりも、『しょうがないなぁ』と捉えたり、ちょっと笑ってしまうような空気のほうが圧倒的に強く漂っている。

 今回否定はしているものの、大前提として不倫は倫理的にはよろしくない行動であろう。女性関係のスキャンダルが多いことからも、「許せない!」となっても不思議ではない。しかし、それでもなぜか田中圭は「なんとなく許されている」ような印象を受ける。

 それは、度合いは人それぞれだと思うが「世の中の多くはうっすら田中圭が好き」あるいは「世の中の多くは田中圭をどこかかわいいと思っている」といった感情があるのではないだろうか。

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“かわいい田中圭”イメージ通りのリアクション

 田中圭の「かわいいやつ」「憎めないやつ」というパブリックイメージを決定づけたのは、2016年から放送されたテレビドラマ『おっさんずラブ』シリーズでの“はるたん”(春田)の役どころがかなり大きかったと言っていいだろう。

 吉田鋼太郎演じる「部長」との、さまざまな垣根を超えた、ある種の「純愛」に葛藤するさまは、田中圭という俳優のイメージを大きく決定づけた。

 田中圭には、そこに加えて「驚くほどに素直」というイメージが加わったことも大きい。

 これまで何度もその酒癖、女癖の悪さが報道されてきたが、それを「キャラ」として笑って消費してもらえるような「憎めないやつ」イメージが強かったのだろう(酒癖や女癖は、当事者以外はすべて「対岸の火事」なので、受け止める側の印象に委ねられるといった面もある)。

 今回の文春の最初の直撃に対する田中圭のリアクションが、そういう意味でイメージ通りというか、ジャストだったのである。


「なんで知ってんの? なんで知ってんの、なんで知ってんの、なんで知ってんの」

 という連呼、そして、合鍵を「持ってねぇもん!」と言った直後に「とっくに(返した)。とっく、超とっく!」とのたまう始末。下手くそか、としか言いようがない。

狩野英孝や浜田雅功に通じるもの

 しかしその下手さがある意味での「正直さ」を印象づけ、それぞれの所属事務所の対応も早かったことがこれまでの好感の貯金に結びつき、「田中圭が泥酔してまたやらかした」シリーズのように、冒頭に書いたようなどこか笑い話になり許された空気が生まれていったのではないだろうか。

 性別問わず母性本能のようなものが刺激されるのか、世の中は「かわいい」に加え、「少し抜けている(≒天然)」ものが、基本的に好きなのである。

 その前提があるところでちょっと笑ってしまったら、そこでもう、ある程度許してしまう空気につながる。これは、ポンコツすぎる釈明会見で笑われた狩野英孝や、「フレンチクルーラーをもらい涙した」という浜田雅功にも通ずるものがある気がする。

 われわれ世間の受け止め方は勝手なものなので、こと有名人に対するわれわれの感情はそれぞれだ。言うまでもなく同じ行動をとっても、大バッシングを受けること、むしろそのほうが多いだろう。

“文春砲”第2弾で世間の風向きは変わったか

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永野芽郁の公式SNSにアップされた田中圭との写真。2021年公開の映画『そして、バトンは渡された』で共演した
 いっぽうで、世の中は天然は好きだが、「計算」は大嫌いだ。たとえば川谷絵音とベッキーの不倫騒動の際の「センテンススプリング!」と茶化したLINE流出がそうだろう。もちろん「地位」や「力」を利用したものも、大嫌いである。

 そんななかで出た、“文春砲”第2弾の、二人のLINEのやりとりとされる履歴の流出。

 そこにあった<俺ならめっちゃ酔っぱらいでって話もまかり通るんだけども><事務所に対しても嘘つくか>といった文言は、これまでの「憎めないやつ」イメージを大きく覆すものであり、直撃の際のうろたえ方も「もしかして天然じゃなく、天然に見えるような計算による演技だった!?」と感じてしまうようなものだった(そういえば田中圭は偏差値70超えの進学校に通っていた頭脳明晰な人間である、本来)。


 これはさすがに流れが大きく変わっちゃうな、と思ったものの、今度はその受け答えの数々が、第1弾の直撃も含め、「田中圭構文」としてネットに拡散され、それを茶化して組み込むような画像が出回り始めるという、今まで見たことのないような流れが生まれている。

 その二人の「どうしよう」というやりとりの文面がそこかしこにやはり田中圭「らしさ」爆発で、やっぱり「笑ってしまった」のではないだろうか。

ヘイト以上に進む“ネットのおもちゃ化”

 もちろん、当事者二人に対する怒りや失意も多々見られ影響は感じるが、このやりとりの信憑性と双方の事務所がその存在そのものを即座に全面否定したことも加わり、この件はイメージの裏切りというヘイト以上に“ネットのおもちゃ化”が進むという、田中圭の笑われ力の強さ、それでもまだ許される空気をまだ残す田中圭、というものを、より強く実感しているところである。田中圭のかわいさ、おそるべしだ。

 とはいえ、現時点での影響はまだそれほど致命的ではないものの、長いターンではこの先にじわじわ影響が及ぶ可能性は十分ある。

 次の矢があるのかどうか、なんとか「かわいさ」がキープできるのか、世の中の甘さとはどのラインが転換点となるのか。いろいろと見守りたい。

<文・太田サトル>

【太田サトル】
ライター・編集・インタビュアー・アイドルウォッチャー(男女とも)。ウェブや雑誌などでエンタメ系記事やインタビューなどを主に執筆。
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