『孤独のグルメ』原作者である久住昌之が「人生最後に食べたい弁当」を追い求めるグルメエッセイ。ビジネスクラスで搭乗した飛行機内で出された豪華なお弁当を食べながら、思いついた今回の連載テーマ。
孤独のファイナル弁当 vol.01「自分史上、最高に地味な弁当」
先日仕事で九州に行ったとき、飛行機の席がビジネスクラスだった。そしたら昼の便だったので機内で弁当が出た。久々だ。これが豪華と言っていい贅沢なものだった。写真を見よ。おかずの品数多し。食べたらちゃんと全部おいしい。ちょっと驚いた。懐石料理だ。熱い味噌汁までついている。
到着後すぐ仕事だったので、ドリンクはお茶にしたが隣の席の人はビールを飲んでいた。こんな弁当で酒を飲んだら、さぞうまいだろう。
だが、食べはじめてふと思った。もし今乗っている飛行機が、なんらかの理由で墜落したら、これがボクの最後の弁当になる。
ボクは子供のころから弁当が大好きで、弁当のことは今までたくさん書いてきた。デビュー作も夜汽車で男が駅弁を食べるだけのマンガ(『世にも奇妙な物語』でドラマにもなった「夜行」)だ。
そのボクの一生の最後の弁当がこれでいいのか? どうも豪華で美味なのがボクにとっての最高弁当ではないようだ。じゃあボクはどんなのを最後に食べたいのか?
そもそも弁当とは、外出した際、出先で食べるため携帯する食事だ。「途中の食べ物」なのだ。だから最後の食事に似合わないのかもしれない。キリストの最後の晩餐で使徒が各自弁当を食べていたらマヌケすぎて絵にならぬ。
なら自分が食べてきた弁当で、一番地味な弁当はどれだったか。
中学生のときに母が作った弁当だ。あれは地味だった。イラストを見よ。おかずは前夜に食べた残りのサツマイモの天ぷらを醤油で煮たもの一枚。と青い小梅一個。
母は寝坊したのか忙しかったのか。いつもは肉団子とか卵焼き、ブロッコリーやきんぴらごぼうくらいは入っていた。
だがボクはそれを見たとき思わず声を出さずに笑った。おかず部屋がガラーンとしている。イモが寒そうだ。白っ茶色い風景。
いいじゃないか。母への文句や恥ずかしさはなかった。そうやってひとり楽しんで食べる中学生だったからのちに『孤独のグルメ』なんてマンガを描いたんだろう。
ここまで書いてきて、思う。
どんな弁当だって、これが自分の人生最後の弁当だと思えば、愛おしくなる。機内弁当に微かな不満を持ったのは、自分に似つかわしくないと感じたからだろう。でも中学のイモ天弁当に立ち帰れば、機内の弁当もボクには大袈裟すぎるところが滑稽で楽しい。
この連載はいろんな弁当を「自分最後の弁当」として味わってみたら、というものです。


―[連載『孤独のファイナル弁当』]―
【久住昌之】
1958年、東京都出身。漫画家・音楽家。代表作に『孤独のグルメ』(作画・谷口ジロー)、『花のズボラ飯』(作画・水沢悦子)など