―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―

ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。今回訪れたのは、後輩で餃子好きのH君に「東京で一番美味しい餃子は?」と聞いて即答された『赤坂眠眠』。

港区町中華の名店と呼ばれるお店の餃子のお味は? 今日はどんなドラマが待っているのだろうか。


餃子と後輩【赤坂駅・赤坂珉珉(中華屋)】vol.9

編集プロダクションで働いていた頃、全社的に仕事が回らなくなり、学生インターンを雇うことになった。集まってくれたインターン生とはすぐに打ち解けたが、その中でもとくに、H君という男子が気になった。

H君は、暗かった。なにかと慎重に動くタイプで、放っておくと思考の沼にハマって動けなくなる傾向があった。そんな不器用なところも好きだったし、「俺、年上とか先輩にあんまり好かれないんすよね」と寂しそうに言うところも、どこか面白かった。

そんな彼が一つだけ自信を持っている趣味が、日本中の餃子を食べ歩くことだった。仕事の傍ら、個人ブログの域を超えた餃子メディアを粛々と更新し、そこそこの視聴数を稼いでいた。

この連載がスタートしてから、久々にH君と会う機会があった。彼はすでに三十路を越えていたが、相変わらず「先輩に好かれないから誘ってもらえて嬉しかったす」とか言っていて、三十代にもなってまだ年上に好かれたいと思うこじらせ方がやっぱり独特で面白かった。

久しぶりに会ったH君は、相変わらず餃子を食べ続けていた。これは渡りに船と思い、都内で一番美味い餃子を尋ねたところ、彼は東京都港区にある「赤坂珉珉」だと即答した。
「一つの到達点みたいな餃子です」と言い切った。

港区赤坂。そこは芸能人も御用達のギラギラとした飲食店が並ぶ、資本主義の巣窟のような街である。まさか不器用でこじれているH君からその街の名が出るとは思わなかったけれど、彼が推すなら信じようと、「赤坂珉珉」に足を運んだ。

赤坂という地名に引っ張られたせいか、頭の中で想像していた「赤坂珉珉」は、床が全て大理石でできており、完全個室に大きな回転テーブルがどっしりと構えている印象だった。しかし実物を見てみれば、下町で愛されていそうな年季の入った町中華店がひっそりと佇んでいる。

カウンター席がメインで、スーツ姿の男性の一人客が目立つが、奥の座敷席ではサザエさん一家のような大家族がちょうど食事を終えたところだった。キッチンもホールも店員がたくさんいて、とにかく活気に溢れすぎている。

H君曰く、この店は餃子だけでなく、ドラゴン炒飯やナスカレーといったメニューも美味しいとのことだったが、今回は律義に餃子を堪能すべく、焼き餃子と水餃子、味噌餃子を頼んだ。頼みすぎでは? と自分で突っ込むより早く、全ての料理が提供された。

この店の焼き餃子は、お酢と胡椒とラー油を混ぜたもので食べることを推奨している。私が一見の客であることを見越したのか、看板女将が突如背後から手を伸ばし、目の前で調味料をミックスし始めた。
心底驚いたが、これが通過儀礼なのだろう。お礼を言って、さっそく焼き餃子を食べてみると、その美味しさに驚いた。6個入りだが、一つあたりの大きさが一般的なそれの倍はある。皮も分厚いが、餡も大きく、一噛みすれば肉汁が大量に溢れてくる。そこに看板女将の混ぜた調味料が染みてくるのだが、これが今まで食べたものとは、全く別の美味さがある。H君が言っていた「一つの到達点みたいな餃子」の意味が、よくわかる。このお店でしか食べられない確かな魅力を放つ味が、そこにあった。

興奮した私は、店を出てすぐにH君にLINEを送った。感想と感謝を伝えると、自然と長文になった。しかし、彼から返ってきたのは、

「よかったですー」

という一文だけで、それを見た私は、彼が年上から好かれない理由をようやくわずかに理解できた気がした。

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<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>

―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―

【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。
『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」
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