ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。今回訪れたのは葛飾区の小岩駅にあるスーパー『新町ストアー』。
「ネタになる」と担当編集に言われるまま訪れた先に、何が待っているのか? 願いは今日も「すこしドラマになってくれ」。
その外観を超えた先で【小岩駅・新町ストアー(スーパー)】vol.13
人それぞれに清潔不潔の価値観がある、という話なのだけれど、先日「あ、これはちょっと、勇気が要りますね」と臆した瞬間があった。「店内で飲酒できるスーパーがあるんですよ。ネタになるので、行ってみてください」
担当編集のメールには、葛飾区にあるスーパーマーケット「新町ストアー」の住所が書かれていた。
小岩駅から歩いて20分。コンビニすら見当たらない穏やかな住宅街だが、当該の住所に近づいてもそれらしきものは見えず、まさか閉店したのでは?と戸惑い始めた頃に、視界の端でそれを捉えた。
ボロボロに破けて八割方なくなった暖簾、朽ちて剥がれた壁面、一部が下りきった錆びたシャッター。
看板も見当たらないその店を見て、急に雨が降り出すように、悲しみが湧いた。
やはり、閉店したのだ。
街に愛された店が、何かの理由で、姿を消した。時の流れの残酷さを思い、目を瞑る。
すると、音がして、開かないはずのガラス扉が、開いた。
中から、いかにも買い物を終えたばかりの中年男性が、満足げな顔で、現れた。
まさか、営業中なのか?
店を覗いた。閉店だなんてとんでもない、と言わんばかりに、明かりが見えた。
一瞬でも廃墟を疑ってしまった自分を、ひどく恥じた。恥じたところで、店舗に入るのはやっぱり勇気が必要なほど、古い建物だった。
中は、コンビニを一回り大きくしたような広さだが、幼少期に通った駄菓子屋のようだった。ゴムのようなタイルの床と、雑多に並んだ商品群。古いラジカセから聞こえるAMラジオ。お菓子棚の上段に並べられた焼酎や日本酒は、売り物ではなく、常連客がキープしたボトルだと気付いて笑ってしまった。
ラジオに紛れて、楽しそうな声がする。棚の端から覗くと、古いダイニングテーブルの上に日本酒のカップ酒が転がり、つまみが並んでいる。
2人の年配の男性が、顔を真っ赤にして、談笑していた。
この人たちの横で飲むのが、今回の任務だ。しかし、どうにも呼吸がしづらい。彼らはひどく酔っていたし、そういえば私は、どちらかといえば清潔な飲食店のほうが好みだったことを、思い出す。
重い足取りで惣菜コーナーに行き、大根のそぼろ煮を手に取った。缶のハイボールも持って、レジに向かう。
「ここで食べる?」と店主らしき男性に聞かれ、頷く。
「じゃあ、会計は最後にまとめるから。好きなもの取ったら、声かけて。冷えたグラスは冷蔵庫で、氷は、アイスが入ってる冷凍庫にあるから」
簡単な説明だった。
スーパーの商品を取って、温めてもらったり、そのまま食べたりして、最後に会計。
性善説が、生きすぎている。
冷えたグラスに氷を入れて、テーブルにつく。
酒を飲み、ほんの少し、緊張は解け、酔った常連客の話を聞いた。
「今日はまだ静かなもんだ。普段はもっと、みんなで騒いでるよ。またおいでよ。来れるものならだけど(笑)」
他人の同窓会に紛れ込んだような、遠い寂しさ。駅から離れたこの店が、令和まで続いている理由は、こういう人たちにあるのだと思った。
そのあと、もう一杯飲んで、店で調理してくれるキムチも食べて、帰った。
最寄り駅で降り、大型スーパーに寄った。綺麗で、清潔で、よそよそしい。
それに、安心する。
<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>
―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―
【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」