チャンネル登録者数 34万人のYouTubeチャンネル「警察官ゆりのアメリカ生活」を運用している永田有理さん(44)は、現在もアメリカの警察官として働いている。
警察官として職務に励むかたわら、人身売買防止活動にも邁進する永田さんの生き方には、誰もが関心を持つだろう。
今回は、ロサンゼルスに住む永田さんにオンラインで取材。渡米後の人生模様の一端をうかがった。
新たな人生のスタートは米国で
——中学校時代は、アトピー性皮膚炎でいじめに遭うなど辛い青春だったそうですが、高校ではそれなりに楽しかったようですね。そこから一足飛びという感じで、アメリカに渡ったのはなぜでしょうか?永田有理(以下、永田):自分はすごくダメな高校生だと思っていましたし、日本の大学に進学する気になれなかったんですよね。両親も「アメリカにでも行って心機一転したほうがいいのでは?」と、勧めるくらいだったのです。それで、アメリカで英語を勉強しながら暮らしたら楽しそうだし、未来も広がるかと思い、渡米することにしました。
——最初はアメリカのどの街に行きましたか?
永田:18歳になって、行った先はカリフォルニア州のアーバインという町でした。日本人も多かったし、犯罪も少ないところです。語学学校に通い始め、住む場所は学校の先生が借りてくれました。英語がさっぱりわからないので、学校を行き来する以外はあまり出かけず、自室でもテレビの字幕を見ながら勉強していましたね。
米国で結婚、出産。そして離婚……
——語学学校を卒業した後は、ロサンゼルスにあるカレッジに入学されたのですね。そこでダンスを専攻したと。永田:最初は音楽専攻だったんですけど、自分に音楽の才能がないとことに気づいて、途中でダンスに変えました。数年通いましたが、その間に結婚して子供も生まれたこともあり、卒業に必要な単位は取得しないまま学校を去りましたね。そして、結婚してから7年で離婚してしまいました。子供は2人いて、異郷の地で“無職のシングルマザー”になってしまったのです。
——シングルマザーになったことで、日本に帰る選択肢はなかったのですか?
永田:親からは「日本に帰ってきたら?」と言われたのですが、帰国したところで「それまで主婦業をしていた自分に何ができるのだろう」と疑問に思いまして……。実家にいて、親に甘えてしまう人生で終わるのは嫌なので、むしろここにいてアメリカンドリームを追い求めたほうがいいと考えたんです。年齢、性別、学歴、人種も関係なく、夢を叶えられる場所なので、ここで頑張っていくことを決心しました。
苦難を乗り越え天職を見出す
——でもその状況から仕事を探すのは、かなり大変だったのではないでしょうか。永田:本当に大変でした。片っ端から求人に応募したのですが全滅。
——「CoCo壱番屋」から始まって、どういった経緯で警察官を目指すことにしたのですか。
永田:その後、とある美容サロンから「うちで働かないか」と声をかけていただいて転職したのですが、その仕事には喜びを感じられなくなってしまって……。「あまりやりたくない仕事をして人生を終わりたくない」と真剣に思い、人の役に立てる仕事をしたいという欲求が抑えられなくなっていました。それで、「人を助ける仕事で、ある程度給料が良くて……」など取捨選択し、最終的に警察官を目指すことを決めたのです。
アメリカの警察を目指す「過酷すぎる挑戦」

永田:はい。ただ、まず試験に合格することがすごく難しいです。筆記試験は、英語力、数学、時事問題を問うもののほかに、小論を書くというのもあります。小論は「自分がしたことで一番後悔していること」といったテーマが渡され、それに関して文章を書くんです。テーマは当日まで知らされず、事前対策ができないので苦戦しました。
——もちろん筆記だけではないですよね。
永田:体力テストや健康診断はもちろん、心理カウンセラーによる診断があって、面接も3回ぐらいあって、嘘発見器を使用して質問責めにあうとか……かなり大変でした。
半年間は無職で勉強に専念
——警察学校に入ることも、なかなか過酷な挑戦でしたね……。永田:おまけに、試験勉強のために仕事を辞めていたんです。「半年後には警察学校に入っている」という目標で、半年間生活できるだけの貯金はしました。だからこそ、半年で絶対に合格していなくてはいけなかったのですが、残念ながら合格できませんでした……。お金がなくなってしまって、臨時の仕事をしながら生活のやりくりをしていましたね。
——結果的に、いつ頃受かったのですか?
永田:なんとか合格したのは、仕事を辞めてから1年以上経った頃で、34歳になっていました。受かったことを知ったときは、まるで夢のようでしたが、その一方で「これだけ頑張ったのだから絶対受かる」という確信も正直ありましたね。この体験は、自分の人生の中でも、自信を深めるひとつのきっかけになったと思います。
* * *
警察学校への切符を手にした永田さんだったが、それはゴールではなく新たな試練の入り口だった。待ち受けていたのは、肉体的にも精神的にも極限まで追い込まれる警察学校での日々。
取材・文/鈴木拓也
【永田有理】
日本の高校を卒業後、渡米。現地の語学学校とカレッジを経て、紆余曲折の後にLAPD ACADEMY入学。卒業後はロサンゼルス空港警察(LAXPD)に勤務し、現在に至る。また、NPO団体ラブスペクトラムを立ち上げ、人身売買の防止や被害者を支える活動に取り組む2児の母。Amazon Kindleの著書『実録LA初 日本人女性警察官』2部作がある。
【鈴木拓也】
ライター、写真家、ボードゲームクリエイター。ちょっとユニークな職業人生を送る人々が目下の関心領域。そのほか、歴史、アート、健康、仕事術、トラベルなど興味の対象は幅広く、記事として書く分野は多岐にわたる。Instagram:@happysuzuki