情勢調査があてにならなかった参院選
選挙前の数字だと、自公は負けようが無かった。しかし、負けた。昨年の衆議院選挙以来やってみなければわからない選挙、投票にいく意味のある政治となった。
ちなみに、各種情勢調査が、これ以上あてにならなかった選挙を知らない。
前日まで絶対当確だった候補が落選、あるいは逆も多々あった。自民党の鈴木宗男参議院議員など午前に引退会見したが午後に当確が出たほどだった。
また、全国の多くの選挙区で1%差の競り合いが多くあった。
要するに、自分で考えて投票する有権者が増えた。
参政党は新興宗教の如き組織力
ところで参政党の組織論、最初に教えたのが何を隠そう私なのだ。2012年正月に、神谷宗幣にした話を紹介する。
もし政党を作るなら、近代政党でなければならない。近代政党の定義は、綱領・全国組織・議員の三要素からなる政党。
それに対して、自民党や平成の政治改革以降にできた多くの新党は、議員に個人後援会と団体がくっついてきて、政策などは最後に貨車で来る。前近代的な組織だ。
神谷代表、「公明党は創価学会が支配している。あれをやるんです」と街頭で演説していたが、本当にこの通りやっている。確かに、参政党は新興宗教の如き組織力だ。
近代軍の公明共産が自民党を上回らない理由
ただし、この話には続きがある。では、なぜ近代軍である公明党や共産党は、源平合戦の騎馬武者の集まりのような自民党より上回る議席を獲得したことが無いのか。
一つには、公明共産が掲げる理念(綱領)が、多くの日本人に受け入れがたいから。その点で自民党は国民の多数に受け入れられる、国民政党である。
もう一つは、いざとなれば自民党が“神風”を吹かせてきたから。
“神風”とは、国民に受ける政策を打ち出すこと。典型的なのは森喜朗内閣で結党以来の危機になったとき、総理総裁を小泉純一郎に換え、小泉旋風を起こしたように。
自民党は近代政党ではないが国民政党
つまり、公明共産は近代政党だが、国民政党ではない。自民党は近代政党ではないが、国民政党である。ここに、今後の日本政治を読み解く鍵がある。今の参政党は、“振り切ったトンデモ”である。その政策は語るに値しない。また、熱心な支持者の態度、カルト宗教の信者の如し。建設的な批判をも誹謗中傷と捉える。
3年前にも書いたが、他の政党は何をやっているのか。
主要政党で、立憲民主党や日本維新の会が党改革をできるとは思えない。立憲は、「革命家から尊皇家まで」の多様すぎる政党であるし、その腐敗と無能は自民党以上。維新は地方政党に戻りたがっているのだから、意思が無い。
石破首相に代わる本気で党改革をやる新総裁を
その意思と能力があるとすれば、自民党と国民民主党だろう。奇跡が起きて、石破内閣が内外の圧力をはねのけられたとして、党近代化はできまい。むしろ国民政党の道すら捨てているのだから。
石破首相に代わる人となると、本気で党改革をやる人だ。本気の党改革とは、参政党と同じことをやる。
すなわち、新総裁が全国行脚して、組織を作っていく。自民党は全国津々浦々に支部があるではないかと言うかもしれないが、あれとは違う。
参政党を見習って“近代化”すべし
実務の話をすれば、集会の動員一つとっても、自民党は何度も動員すると疲れるので、絞って動員する。ところが参政党は全部に集まる。その“近代軍”としての秘訣を研究、実践してはどうか。国民民主党は、国民政党として支持を集めてきたし、政策立案能力には定評がある。国会対策(=自民党との外交)には不安が残るが、参政党の真似できるところを見習って“近代化”し、選挙に勝てば、そういう能力は必然的についてくる。
いずれにしても、国民から信を失っている事実を認識できない石破首相を降ろす。
―[倉山満の政局速報]―
【倉山 満】
憲政史研究家 1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『噓だらけの日本中世史』(扶桑社新書)が発売後即重版に