セ・リーグ=セカンドリーグという構図が浮き彫りになった2025年

セ・パ交流戦で7~12位を独占したセ・リーグ。広島カープの市...の画像はこちら >>
プロ野球はオールスター・ブレイクが明け、夏のペナントレースがいよいよ佳境に入ってきた。今年7月のオールスターゲームは1戦目、2戦目ともにパ・リーグが快勝、6月に行われたセ・パ交流戦では上位1~6位をパ・リーグが、下位7~12位をセ・リーグがそれぞれ占める結果となった。

ネットユーザーのあいだでは以前から、長年セ・リーグのチームがパ・リーグに圧倒され続けていることを揶揄して「セ・リーグはセントラル・リーグではなく、セカンドリーグ(2部リーグ)の略ではないか」と言われてきた。
ただし、それは単なる悪口ではなく、多くのプロ野球ファンが「セ・リーグの保守性(変わらなさ)」を問題視している表れでもある。

これまでもっぱらセ・リーグの「変わらなさ」の1つに挙げられてきたのが打者制だ。パ・リーグは1975年から指名打者制を導入した一方、セ・リーグは2025年の今も頑なに導入していない。セ・リーグのように9番に投手が入ると、投手は打撃技術を専門的に磨いてきていない選手が多いため、9人の打順の中に「穴」が生まれてしまう。パ・リーグはその「穴」がなく、反対に打撃を得意とする指名打者が入るため、投打のレベルが上がりやすいとされる。

海の向こうメジャーリーグでは、これまで指名打者制を採用してこなかったナ・リーグが’22年から正式導入(このおかげで大谷翔平も、ナ・リーグ所属のドジャース移籍後に指名打者での出場を継続できている)、日本国内でもやはり採用を拒んできたアマチュアの東京六大学野球が’26年からの採用を今春、決定した。
国内外のハイレベルの野球シーンではほとんど唯一、セ・リーグだけが導入を決定していない。この変わらなさが、セ・リーグの「弱体化」を招いているのではないか、というわけだ。

海外放映というグローバリズムに対抗する“カープ的”ローカリズム

セ・パ交流戦で7~12位を独占したセ・リーグ。広島カープの市民性は“変わらなさ”の象徴か、革新の息吹か
カープの専用球場・マツダスタジアム
一方、本稿ではセリーグの保守性を「放映権ビジネスの一括化」という視点で、とくに広島東洋カープ球団(以下、カープ)に注目して考えてみたい。

パ・リーグでは6球団がまとまって放映権ビジネスを行っている一方、セ・リーグはいまだに6球団がバラバラで意見の一致が取れていない。パ・リーグは放映権をパシフィックリーグマーケティング株式会社が一括して管理しており、同社が運営する「パ・リーグTV」や、スポーツ中継配信サービス「DAZN(ダ・ゾーン)」でもパ6球団すべて+セ5球団のホームゲームを観戦することが可能だ。だが、セ・リーグには同様の仕組みがいまだに存在していない。

「セ・リーグは保守的」と言うと、どうしても“球界の盟主”ジャイアンツが強権をふるって古いままの野球を守っている――そんなイメージがあるかもしれない。
だが現在のジャイアンツは指名打者制の導入も含め、改革に積極的な球団に生まれ変わりつつある。

ではセ・リーグの放映権ビジネスの一括化が進まないのはなぜかというと、主たる原因は発足時から所属する広島東洋カープ(以下、カープ)が地元・広島のテレビ・ラジオ放送局との伝統的なつながりを優先して首を縦に振らないからだ、といわれている。実際、DAZNでNPB12球団のうち主催試合の中継を行っていないのはカープだけである。

DAZNは本社をイギリス・ロンドンに置くグローバルプラットフォーム(世界中のユーザーに均一な体験・機能を提供できるサービス)だが、現時点で海外から日本プロ野球をライブ視聴することは(基本的には)できない。しかし広島を除く11球団がDAZNで試合を配信するようになったのは、いずれ海外向けに放映権ビジネスを広げていく布石と考えられる。

その一方でカープ戦のテレビ・ラジオ放送は、在広ローカルの特定局に独占させるのではなく各局に“平等”に分配しようとする姿勢が見られる。このような「地元重視」の姿勢は1945年8月6日のアメリカによる原爆投下という惨禍を経験したのち、復興の象徴として市民の力で生まれた「市民球団」であることにかかわりを持っている。放映権ビジネスの一括化が進まないのも、どこでもカープ戦を観られるようにしようとする“DAZN的グローバリズム”に粘り強く抵抗する“ローカリズム”の発露でもある、と捉えられる。

つまりセ・リーグの放映権一括化が進まない背景には「革新」対「伝統」だけでなく、「グローバリズム」対「ローカリズム」というもうひとつの対立軸があるのだ。

カープファンの郷土愛は「輸出」できる!?

もっとも、カープとカープファンのもつ“市民性”は、「広島ローカル」にとどめておくのには勿体ないポテンシャルがあるように私には感じられる。

少し前の話になるが、’16年のセ・リーグ クライマックスシリーズ ファイナルステージはシーズン首位だったカープのホームであるマツダスタジアムを舞台に、カープと横浜DeNAベイスターズが激突した。当時ベイスターズの主力打者だった梶谷隆幸は、ジャイアンツとのクライマックスシリーズ ファーストステージで死球を受け左手の薬指を骨折していたが、広島とのファイナルステージにも強行出場した。


その梶谷はファイナルステージ第3戦、浅いライトフライに飛び込み、骨折しているはずの左手にはめたグラブで好捕した。これに対し、敵地であるはずのマツダスタジアムを埋め尽くすカープファンから万雷の拍手が送られたのである。

カープファンたちは梶谷が強行出場していることを知っていたからこそ、敵チームであるはずの彼の気持ちのこもったプレーを目にしたとき――応援団に促されるのではなく――“自発的”に賛辞を送った。カープファンが長年培ってきた、平和や民主主義を大切に思う“市民性”が ある種の“スポーツマンシップ”へと昇華していることを象徴するシーンだったと言える。

原爆の惨禍を受けた「被爆都市」としての広島のローカリズムが、 “スポーツマンシップ”という普遍性へと、自然に接続している。これは本来、広島ローカルにとどまらず日本全国、さらには全世界へと発信されるべきスポーツの価値である。

そのように考えていくと、「“市民性”を重んじるカープこそ、グローバルに自らの持つ価値を発信していく責務がある」といえるのではないだろうか。もちろんその際、ローカルのもつ歴史や文化との自覚的な接続は欠かすことができない。放映権を含めて「伝統をリスペクトつつ、革新を取り入れる」「それが結果的にパ・リーグやメジャーよりも革新的になっている」という方向性を、カープにとどまらず今やセ・リーグのファンも球団側も、ともに考えていくべきフェーズに入っている。

いたずらに伝統を固守するのではなく、自分たちの守り育てるべき価値が何なのかを弁別し、その価値を自覚的に発信していく。そのような積み重ねが、セ・リーグの「保守性」をポジティブなかたちで一段上のステージに押し上げる原動力となるのではないだろうか。

【中野慧】
編集者・ライター。
1986年、神奈川県生まれ。一橋大学社会学部社会学科卒、同大学院社会学研究科修士課程中退。批評誌「PLANETS」編集部、株式会社LIG広報を経て独立。2025年3月に初の著書となる『文化系のための野球入門 「野球部はクソ」を解剖する』(光文社新書)を刊行。現在は「Tarzan」などで身体・文化に関する取材を行いつつ、企業PRにも携わる。クラブチームExodus Baseball Club代表。
編集部おすすめ