第二次世界大戦終結80年の今夏は、舞台『WAR BRIDE -アメリカと日本の架け橋 桂子・ハーン-』で主演を務める。日ごろから、凛とした強さを感じさせる奈緒だが、そんな彼女の強さのルーツには、奈緒が「家族みんなの大黒柱でした」と語る“母”の存在があった。
※舞台名にある“War Bride(戦争花嫁)”とは、第二次世界大戦後、連合国軍占領下の日本に駐留していた兵士と結婚し、兵士の国へと渡った日本人女性のこと。本作のヒロインの桂子さんは、『半沢直樹』ほかのプロデューサー・川嶋龍太郎氏の伯母がモデル。
いまの時代になぜ自分が生きていられるのか
——舞台『WAR BRIDE』は、22年にTBSで放映され、翌年TBSドキュメンタリー映画祭でも上映された『War Bride 91歳の戦争花嫁』が原案です。最初に、こうしたお話がきたとき、どのような思いがありましたか?奈緒:お話をいただいたときに、映画を見せていただきました。私自身の祖父も、戦争に行って帰ってきた人なので、小さな頃から戦争はとても怖いものだと感じてきました。生まれも九州の福岡のため、子どもの頃から長崎の原爆資料館にも足を運びましたし、もともとは福岡に落ちる計画があったという話も聞いていました。
——ではもともと取り組みたいテーマのひとつだったのでしょうか。
奈緒:戦後80年ということもありますが、自分自身、歳を重ねるにつれて、戦争というテーマについてもっと深く知らなければと思っていました。今の自分の生活や、幼い時に自分がたくさんの選択肢を持てたことに関しても、そうした時代になぜ自分が生きていられるのかを紐解くためにも、深く向き合わなければいけないと思っていました。こうした作品を舞台で取り組めることは、自分の人生において大きなタイミングだと感じます。また、家族ということも大きなテーマになっていて、愛と家族、そして戦争という背景について向き合い、伝えられるというのは、すごく大きなやりがいがあると感じました。
どんな場所でも自分の居場所は作れる
——今年の1月にアメリカのオハイオ州ライマに行って、94歳になる桂子さんにお会いになったそうですね。奈緒:はい。街のお話をたくさん聞かせていただきました。そのときの桂子さんのお顔が本当に幸せそうで、感謝に満ちていました。ライマの市長ともお会いしたのですが、桂子さんのことをとても大切にしていらっしゃるのを、お二人が話している姿から感じました。日本から遠いこの地で、桂子さんはご自身で温かい場所を作り上げられたんだなと思いましたし、どんな場所でも自分の居場所というのは作れるんだという大きな希望と、ひとつの自信のようなものを授かったような旅でした。
「テレビで見ていた人が隣にいる」不思議な感覚
——2020年に奈緒さんにお話を伺ったとき、「“奈緒”と聞いたら自分の顔が浮かぶようになりたい」とお話されていました。その後、主演作を重ねていかれたこともあり、有言実行されたかと。奈緒:どうなんでしょう。自分自身で、そういう進化があったかというと、実感はありません。ただ今回、桂子さんと結婚したアメリカ人の夫フランク・ハーンさんをウエンツ瑛士さんが演じているのですが、ウエンツさんが私を知っているということがすごく不思議で……。しかも、一緒にインタビューを受けたりして、隣で「奈緒さん」と呼ばれたりするのでビックリしちゃいました。
——ええ?(苦笑)
奈緒:もちろん、これまでにもいろんな俳優さんとお仕事させていただいて、似た感覚はありました。ただウエンツさんは、自分が小さなときから見ていた人なので、特にそれを感じるんです。
——(笑)。
奈緒:お兄さん世代で活躍していて、テレビの前で「わー!」って見ていた人だからこそ、そんな人が、「奈緒さんの第一印象は……」って言ってて、すごく不思議な気持ちになるのだと思います(笑)。
下積み時代はマネージャー業と俳優業の掛け持ち

奈緒:そうですね。
——いろんな物事をポジティブに捉えていける方だという印象があるのですが、それでもこれは苦労した、大変だったといった時期や出来事、それをこうして乗り越えたといったエピソードはありますか?
奈緒:なんでしょう。きっとあったと思うんですけど、忘れちゃうんです。楽しかったことはいっぱい覚えてるんですけどね。好きなことだけ選びつづけるのはなかなか難しいことだと思います。自分の苦手なことや嫌なことにも挑戦しなければならない時でも、嫌なことでも自分の好きなやりかたを見つけることはできると思っています。
——なるほど。
奈緒:自分のなかで大変だなと思うことと出会ったとしても、それを自分の好きなやり方で乗り越えるという選択肢は残されている。そう思って進んできているので、終わった時には、結局、自分の好きなやり方で乗り越えている。だから、いい思い出に変わっているのだと思います。
——そういった捉え方は子どものころからですか?
奈緒:そうですね。うまくいかないと思うことはありましたけど、その中でいいことを見つけるようにはしていたと思います。
一家の大黒柱、母の偉大さ
——誰かからの影響でしょうか。奈緒:母だと思います。母はどんなに苦しい時でも絶対に弱音を吐かない人でしたから。今でこそ弱音を吐いてくれるようになりましたけど。私が幼い時には、全く弱音を吐かなくて、涙も見せませんでした。そんな母の背中を見て、自然とそうした選択をしていた部分はあると思います。
——お母さまが「強い人だ」というのは、小さな頃から自然に感じていたのですか?
奈緒:小学校に上がる前から感じ取っていました。というのも、うちは私が7ヶ月のときに、父が他界していたので、母がひとりで兄と私のふたりを育ててくれました。
母は上京に大反対

奈緒:大反対も大反対(苦笑)。「福岡からは出さないぞ」という感じでした。その時の母の愛としては、自分の目の届かない見知らぬ場所にひとりで行かせるのは、どうしても心配だったようです。
——それでも譲れなかったわけですね。
奈緒:小さな頃から、母のことは絶対に超えられないと思っていました。だから母がいいと思うものや、母が望む人生が、自分に合っているのではないかと思っていました。でもそのとき自分のなかで初めて自分でやりたいことと、母が思い描く自分とで、ギャップが生まれたんです。それが「上京してお芝居をする」ということでした。私の家族にとっては大事件です。それでも自分がやりたいと心から思ったことを選択するということは、私自身にとって必要なことでした。
「母もひとりの女性」と気づくとき
——お母さまは超えられないと思っていたとのことですが、変化はありますか?奈緒:母のことは、今でも超えられないと思いますし、心から尊敬しています。自分が大人になるにつれて、母もひとりの人間で、ひとりの女性なんだと気がつきました。なので今では、母が元気なうちに、超えたように見せて、母を安心させないといけないと思うようになりました。心の奥底では超えられたとは思える日はこないと思います。それはおそらく自分の人生が終わるまでずっと。でも母には、私が自立した強い人間になった姿を見せて安心させたいなと思うようになりました。
——奈緒さんもお母さまと同様にとても強いステキな女性ですね。ただそうした方は、弱さを見せるのが苦手な人も多い印象です。どうバランスを取ったり、自分自身をケアするようにしていますか?
奈緒:いざとなったら自分が弱い部分を見せられると思える人を、自分の中に常に作っています。そういう存在がいるかどうかだけでかなり違ってくると思います。
民放ドラマ初主演で「弱さを見せられるように」

奈緒:はい。そう思えるだけで、私の場合はかなり違ってきます。
――そうだったんですね。
奈緒:強く見られることもありますが、今では弱い部分も含めて自分自身のことをよく分かるようになったので、「あ、これ以上だと、私ちょっと落ちこんじゃうかもな」と察知することも早くなりました。そうしたときは、なるべく周りにちゃんと話したり、解決策を見つけられるようになりました。
30代の自分に希望を持っている
——最後にもうひとつ。以前お話を伺ったときに、「20代の間に恋心を大切にしたい」とおっしゃっていました。恋心というのは、恋愛に限らず趣味やいろんなことを含んでいると思います。30代に入りましたが、大切にできていますか。奈緒:あー。忘れていました。言ってましたね。いま20代の自分からのメッセージとして受け取りました。
——「恋心を忘れてしまっているので、そうした生活も大切にしたい」とも。
奈緒:その言葉もまんまメッセージですね(苦笑)。きっと、今ここでこうしてその言葉を聞くということが、20代の自分が何かしらサインを送っているのだと思います。「忘れているぞ、忘れないで」と。でも、それこそ今回の作品によって、30代の自分に希望を持てるようになったんです。今回、桂子さんとご家族から私はものすごく“愛”を受け取りました。
これまでは、たとえば将来、家族を作りたいかどうかと漠然と考えたとしても、「でも仕事はどうしよう」と、まず不安が先に出てきていました。それが、今回、桂子さんとお会いしていて、“でも”を考えてしまう癖はやめようと思いました。純粋に、「将来こういう家族が持ちたいな」と思ったら、否定せず自分の気持ちを受け入れようと。それは自分のなかで、とても大きな出来事でした。
<取材・文・撮影/望月ふみ ヘアメイク/竹下あゆみ スタイリスト/岡本純子>
【望月ふみ】
ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画周辺のインタビュー取材を軸に、テレビドラマや芝居など、エンタメ系の記事を雑誌やWEBに執筆している。親類縁者で唯一の映画好きとして育った突然変異。X(旧Twitter):@mochi_fumi