特別支援学級に在籍していたワケ
――鳥取県生まれ、岡山育ちのゆゆさんですが、小学校時代は特別支援学級に在籍していたと伺いました。躁鬱のゆゆ(以下、ゆゆ):そうなんです。それは私の両親が、非常にチグハグな組み合わせのカップルだったことに関係するかもしれません。母方は、東大卒などの高学歴者や私立大学の学長経験者を擁する家系で、父方は肉体労働者です。母方が思慮深くておとなしいのに対して、父方はエネルギッシュでパワータイプでした。どちらかといえば、私の本質は衝動性があるタイプだったと思います。
しかし、母方の家系がある宗教を非常に熱心に信仰していて、地元ではそれなりのポジションにありました。当然、「◯◯さんちの子」というのは周辺に知られているため、ヨソで自分の本来の性格を発揮することができずに抑圧された状態だったと思います。本当は活発な人間なのに、それを表現することができない時間は、苦痛でしたね。
食事のときは怒号が飛ぶのが日常茶飯事
――ご両親からはかなり厳しく躾けられたということですか。ゆゆ:どちらかといえば父親ですね。私が小2までは母方の地元である鳥取県に居て、父の両親の不調を機に岡山県に移り住みました。
――しかしそこで、自らの立ち回り方を考えるきっかけになったとか。
ゆゆ:どれほど綺麗事を並べても、地方では特別支援学級にいるというだけで白い目で見る人がいます。将来的に、あまりプラスにならないと考えていました。まず、“いじられキャラ”や“愛されキャラ”になることで、批判の目をかわすことにしました。はたしてその演出は奏効しました。
グレた中学時代、性犯罪の被害に

ゆゆ:事実です。実はそのことも、私の浅はかな“戦略”が招いたのですが……。というのは、中学校からは、別の小学校から上がってくる子たちがいます。その子たちに馬鹿にされないようにするために、グレる道を選んだんです。グレるためには、グレた仲間が必要です。その仲間が、当時出会い系サイトをやっていました。岡山県は田舎ですから、中学生には“足”がありません。でも出会い系サイトなら、少しの見返りで車を出してくれる大人たちがたくさんいます。
――差し支えなければ、事件について伺ってもよろしいでしょうか。
ゆゆ:中3に進学する少し前の時期だったと思います。いつものように出会い系サイトで出会った男性と話をしていました。男性は、「実は自分は芸能界にパイプがある」という趣旨のことを言っていたと思います。当時、閉塞感のある田舎にいることを窮屈に感じていたこともあって、「芸能界」という言葉は非常に魅力的に思えました。
実際に会ってみると、その男性はお世辞にも容姿に恵まれているとはいえず、「芸能界」の威光がなければ中学生と性行為などできないだろうなと瞬時にわかりました。山奥に停めた車の中で羽交い締めにされて、性行為を強要されました。続けざまに男性は、「俺はすでに人を数人殺している」とも言いました。助けを呼んでも誰も来ないであろう場所で、ガタイのいい男性が発するその言葉は、何も知らなかった私を怯えさせるには十分でしたね。のちに男性は強姦罪で逮捕されています。
コンプレックスを解消するべく、夜職で働くことに
――その後、夜間高校を卒業して夜職で働いたそうですね。ゆゆ:はい。
そこで、夜間高校は、真面目な生徒が集まると評判のところに、片道1時間をかけて通うことにしました。もちろん、学費も自分で稼ぐため、朝から昼はコンビニでバイトをして、眠い目をこすりながら通学です。
高校を出て保育士資格を取ろうと思ったのですが、それよりも、まず大きなお金を手に入れようと考えて、夜職に転じました。目や鼻の整形費用は100万円ほど、同級生から「眉毛が両津勘吉」「目が小さい」と言われてきた往年のコンプレックスとさよならができると思ったんです。
「鼻、前のほうがよかったよ」と言われて…
――「思ったんです」というのは?ゆゆ:美容整形をすると、ダウンタイムといって、直後は審美性が崩れて、そのあとに理想通りになるんです。整形直後にキャバクラに出勤すると、キャストの子から「鼻、前のほうがよかったよ」と言われてしまって。今なら「いやダウンタイムやろがい」って返せるんですが、当時は本気で落ち込んでしまって。
そういうことも、すべて私が“他人軸”で生きているからだと思うんですよね。他人がどう思うか、どう反応するか、を常に考えてしまって、それが価値基準になっているんです。そもそも夜職に就いたのも、「若さしか売るものがない」と焦った結果です。
――心を病むきっかけになってしまうわけですね。
ゆゆ:もちろん、うつ病を発症した原因は複合的なので、そのエピソードはきっかけでしかありません。自分がうつ病になったこともわからずに、出勤をし続けました。キャストの子に「おかしいから病院へ行って」と言われて、ようやく現実を受け入れることができたんです。
「うつ病は甘え」だと思っていたが…
――心を病む前と今で、変化したことはありますか。ゆゆ:これまでも、私の周囲にはうつ病の子がいました。「身体が動かない」と言っていて、それを当時の私は「そんなわけあるかい」と思っていました。お恥ずかしながら、「うつ病は甘え」だと思っていたんです。けれども自分が実際に罹患してみて、うつ病は脳の構造異常だとわかるし、甘えだなんてどうしてそんなことを思えたんだろうと無知でいたことを後悔すらします。
――ご自身では他人の価値基準で行動してしまうという点、生育歴はどのように影響していると思いますか。
ゆゆ:「ヨソ様にどう思われるか」「お父さんには怒られないか」ということを気にしながら暮らした時間は、今思えば「私らしく」の対極にいたと思います。もともとの私はどちらかといえばそそかしくて注意力がなく、でも行動力はあっていろんな人と話すのも好きなはずだったんです。
「社会的な成功を収めている人」からの悩み相談も多い

ゆゆ:コーチングを担当させていただいている方のなかには、社会的な成功を収めている人も少なくありません。また、中学生から「親が気持ちを理解してくれない」「先生とうまく折り合えない」という悩みのDMが届くこともあって、自分が寛解に至った方法をどう広めていくか、考えているところです。
――現在のゆゆさんの目標は、どのようなものでしょうか。
ゆゆ:広く言えば、精神疾患に悩む人を世の中から減らし、精神疾患にまつわる誤解を社会から消すことでしょうか。精神疾患は、当事者も、その近しい人も苦しむ病気です。それらと闘う強力なコンテンツを作っていきたいんですよね。
ありがたいことに、社会的に力を持った人から求婚されたりもしていて(笑)。でもその人らが持っているお金を、私が幸せになるためではなく、もっと社会に還元するために使いたいんです。まだ構想中ですが、必ず実現させたいと思っています。
そういえば、社会的地位のある人から気にかけてもらえるようになったのは、不思議と自分自身が他人の価値観に左右されなくなってからなんです。地位があろうがなかろうが、その人が持っている人間性や将来的なビジョンに惹かれるようになりました。
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何かを成し遂げる人の前にだけたち現れる、あるべき姿。すなわち社会の完成形。そこから現在地を逆算し、ゆゆさんは取り憑かれたように打ち込む。酔狂にして、狂気。でももう、生き急いでいると誰かに笑われても、響かない。“他人軸”から解放された彼女は、見知らぬ者の笑い声さえ置き去りにして、社会に欠けたピースをはめにいく。
<取材・文/黒島暁生>




【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki