ボクシング界で相次ぐ悲劇

相次ぐ悲劇に揺れるボクシング界。“水抜き”の危険性、疑問視さ...の画像はこちら >>
 ボクシング界が大きく揺れています。

 今年5月24日の世界戦で判定結果の途中に意識を失った重岡銀次朗選手が搬送され、開頭手術を受け、現在も入院中。それに続いて、8月2日開催の大会で浦川大将選手、神足茂利選手が亡くなる悲劇が発生してしまったのです。


 昨年2月に亡くなった穴口一輝選手も含め、4人のボクサーに共通する病名は急性硬膜下血腫。頭部への強い衝撃から脳出血を起こし、硬膜の間に血がたまることで発生します。

 つまり、頭部への攻撃が集中するボクシングでは、そのリスクが大きくなるのです。

 深刻な事態を受け、8月10日に日本ボクシングコミッション(JBC)は緊急会見を開きました。事故との因果関係が指摘される「水抜き」と呼ばれる減量方法についての協議を行うほか、ボクサーから逐一体調報告ができるアプリ「ボックスメッド」の導入、さらにはセコンドや試合進行を管理するインスペクターへの教育の充実など、あらゆる角度からの再検討が必要であるとの認識を示しました。

 あわせてタイトルマッチのラウンド数を短縮することも早々に発表し、改めて衝撃の大きさを印象付けることとなりました。

指摘される「水抜き」の危険性

 今回の事故には、様々な意見が飛び交っています。まずJBCも懸念を示した「水抜き」について。なぜ「水抜き」の危険性が指摘されているのでしょうか?

 今のボクシングは、試合で少しでも有利に立つために計量の当日まで身体を大きくすることがトレンドです。しかし、身体が大きくなれば当然体重も増えます。そこで、リミットの体重まで大幅に落とせるように体内に水を多くためこんでおいて、一気に抜く。そうすると身体の大きなフレームと筋肉量は残ったまま、契約体重は守れる。そして計量後に水を飲むなり食事を摂るなりして体重を戻せば、よりよいコンディションで戦える。
「水抜き」とは、そういう発想から生まれた減量方法です。

 けれども、この「水抜き」が脳に深刻なダメージを与え得るのではないか、との指摘もあります。「水抜き」をして脱水状態になった脳は、その後に水分を摂取したからといって、すぐに元通りになるわけではない。ということは、本来脳のまわりを保護すべき水分を失ったまま、頭を殴り合うことになりかねません。

 だから、「水抜き」は頻発するリング禍との関連が指摘されているのです。もちろん、「水抜き」が今回の死亡事故の直接的な原因であったと結論づけるのは早計に過ぎるでしょう。しかしながら、医学的にはそのようなリスクが存在するという事実も押さえておく必要があるのだと思います。

疑問視される安全管理体制と“ボクシング廃止論”

相次ぐ悲劇に揺れるボクシング界。“水抜き”の危険性、疑問視される安全管理…「廃止論」で問題は解決するのか
ボクシング
 この「水抜き」問題を抜きにしても、昨今のボクシングは厳しい目にさらされています。総合格闘家の青木真也選手は、かねてよりボクシングの安全管理体制に疑問を投げかけていました。

 穴口一輝選手が亡くなった試合が年間最高試合に選ばれた際に、井上尚弥選手がこの授賞が<穴口選手へのエールでもあった>と述べたのに対して、<格闘競技全体で安全管理の徹底と競技自体(ルール)を疑うことが安全と競技存続に大事。お気持ち表明と美談で済ませてはいけない話です。人が死んでますからね。>と応じ、公然と反論したのです。


 危機感を抱いているのは、青木選手だけではありません。一般のSNSユーザーからは、“人の顔を殴り合って観客が喜ぶようなボクシングという野蛮なスポーツはなくすべきではないか”との声も聞こえてきます。こうした意見は決して極論ではなく、海外でも同様の“ボクシング廃止論”はたびたび起こっています。

 今回、改めて日本から議論が再燃したと言えるでしょう。

ボクシングがなくなることはあり得るか?

 では、世論に押されて、死と隣り合わせのボクシングがなくなることはあり得るのでしょうか?

 それもまた考えにくいことだと、中東の放送局『アルジャジーラ』は報じています。(2024年12月27日配信)

 理由は、まず巨大な経済的な価値です。2021年時点で、ボクシングの競技者数はアメリカだけでおよそ670万人に達し、関連用品の市場規模も16億ドル(日本円でおよそ2360億円)を超えるほどの、巨大スポーツビジネスとなっているからです。

 加えて、道徳的な意義からもボクシングは大きな役割を果たしている。世界ボクシング連盟(WBF)の広報担当者は<ボクシングは若者に良い影響を与える。危険なストリートから彼らを遠ざけ、規律と自己肯定感を植え付けることができるからだ。いまのところ、悪い点よりはるかに良い点の方が多い>と語っていたといいます。

 つまり、WBFは、ボクシングは野蛮の対極にあるものだ、と言っているのです。そのうえで、安全性に関わる制度を継続的に改善していくことが何よりも重要だと記事は訴えています。


 ボクシングファンである筆者も、おおむね同意見です。ボクシングを危険視する人達の意見もよく理解できますが、では、彼らの言うようにボクシングを廃止したとして、問題は解決するのでしょうか?

 きっとボクシング以上に危険な競技がアンダーグラウンドで人気を集め、そこでは現状のボクシング以上の生々しい惨劇が繰り広げられることになるでしょう。

 当然、表舞台に出てこないからといって、放置しておけばいいわけではありません。臭いものにフタをするだけでは、物事は収まらないのです。

 その一方で、青木真也選手による井上尚弥選手への“苦言”という客観性を、ボクシング界全体が持つ必要もあります。むしろ、関係者は青木選手以上の冷徹さをもって事態の収拾に当たらなければならないでしょう。

ボクシングというスポーツの特殊性

 アメリカの作家、ジョイス・キャロル・オーツは、ボクシングというスポーツの特殊性について、こう書いていました。

<野球、アメフト、バスケ。これらの典型的なアメリカ人の娯楽は、“遊び”(play)に関わることだから、明らかにスポーツとして認識される。ゲームなのだ。つまり、人はアメフトをplayするが、ボクシングをplayすることはしない。>(『On Booxing』 pp.18-19 筆者訳)

 では、ボクシングとその他のスポーツを分ける、「Play」ではない要素とは何なのか。
オーツは、それを<己の肉体における死との対話>であると定義づけています。

 だからこそ、競技として成立させつづけるためにも、徹底的に安全を追求していかなければならないのです。

 昨年から日本ボクシング界に起きた悲劇は、目を背けたくなるようなボクシングの本質を突きつけているのです。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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