国際結婚と聞くと「手続きが大変そう」と思う方も少なくないだろう。最近では以前よりスムーズになったものの、ラオス人の夫・サワンさん(50歳)と映子さん(54歳)が結婚したのは2000年のことだ。

「当時のラオス人との結婚は、とても手間がかかりました」と語る映子さん。25年前は日本人とラオス人が国際結婚するのは珍しく、まさに“手探り”状態……。今回はその大変さ、そして結婚生活の紆余曲折を聞いた。

出会いはバックパッカー旅行中のタイ・カオサン通り

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映子さんとサワンさんの出会いは、当時、“バックパッカーの聖地”と呼ばれていたタイのカオサン通り。

映子さんは、女友達とともに10日間のバックパッカー旅行を計画しており、バンコクやチェンマイ、さらにはカンボジアを巡る予定だった。

チェンマイから夜行列車でバンコクに戻った際、宿を探していたカオサン通りでサワンさんに声をかけられたという。

「完全にナンパでした(笑)。最初は警戒していたんですけど、一緒にいた女友達がサワンの友達に一目惚れして、『一緒に食事したい』って言い出したんです。結局4人でご飯に行くことになり、翌朝5時のバスでカンボジアのアンコール・ワットに行く予定だったのですが、友達が『また会いたい』と言って、泊まっているゲストハウスを教えてしまったんです。そこにサワン達が迎えに来て、“せっかくだし、一緒に行ったら楽しいんじゃない?”となり、知り合って2日目で男女4人旅になりました」

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出会った当初。長髪時代のサワンさんと映子さん
パタヤのツアー会社に勤務していたサワンさんは日本語が堪能。その日もツアー客を相手にバンコクで仕事を終えた帰りだった。アンコール・ワットへの道中、現地での物乞いの状況を目の当たりにした映子さんは、サワンさんの行動に次第に惹かれていった。

「サワンが持っていたお金をすべて子どもたちに渡しているのを見て、優しいなぁ……と思いました。
タイやラオスではこういう徳を積む行為を“タンブン”と言います。あとアンコールワットまでの道がとにかく悪路で、女2人だけだったら危なかったかなと。気づいたら、日本の彼氏といるよりもサワンといるほうが楽しいなと思っていました」

彼を追いかけてタイ・パタヤへ。そして妊娠、出産、結婚…

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結婚当初の映子さん。サワンさんの姪っ子たちとパタヤで
二人が最初に出会ったのは1月。日本に戻った映子さんは、恋人と別れ、2月にはタイに戻りサワンさんに会いに行く。こうして二人は付き合うようになった。

「正直、彼にとって私は“たくさんいる日本人彼女の一人”だったと思います(笑)。それでもその年の4月、5月にも一人でタイに来て、パタヤのアパートでサワンと過ごしていました。その最中、体調を崩して病院で検査を受けたところ、妊娠が判明したんです」

結果として、その年の11月に第一子を出産することになった映子さん。だが、当時の国際結婚は今とは違い、簡単に済むものではなかった。

「いざ結婚するとなったとき、サワンが『実はラオス人』だと初めて打ち明けてきたんです。私は偏見もなかったのですが、ラオスでは外国人と結婚するには行政機関の許可が必要だったんですよね。
それで、日本の戸籍や住民票、無犯罪証明書、健康診断書を揃え、それを大使館に紹介していただいた方に翻訳してもらい、ラオスのヴィエンチャン都の役所に提出しました。その後、役所や県庁、行政機関の面談を順にこなし、承認されるまで丸1年かかりました」

ラオスでの手続きでは、二人の後見人としてサワンさんのラオスに住むお姉さんが関わり、首都・ビエンチャンの役所で宣誓式を行った。役人から「結婚を認めます」と言われ、ようやくラオスでの正式な許可が下りたのだった。しかし、これだけでは終わらなかった。日本で婚姻届を提出する段階でも、思わぬ壁に直面する。

「地元・千葉県の市役所に婚姻届を郵送で提出したのですが、ラオスという国がマイナーすぎて、『この証明書が本物かわからない』と言われ、受理してもらえなかったんです。結局、六本木にあるラオス大使館に勤務されている方に国際電話で依頼し、その方から市役所へ連絡していただき、ようやく婚姻届が受理されました」

天井裏から女性のドレスや下着が…

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この頃はモテモテだったという
こうして二国間の煩雑な手続きを経て、二人は晴れて正式に夫婦となった。タイ・パタヤでの新生活が始まったが、映子さんによれば結婚生活は「波乱の連続」だったという。その原因のひとつが、サワンさんの“浮気癖”にあったようで……。

「サワンはパタヤの旅行会社に勤め、泊まりがけのツアーに同行することが多かったので、月の半分くらいは子どもと私の二人きり。ある日、アパートでベッドに横になっていたとき、天井の梁の一部に何となく違和感を覚えたんです。軽く手をかけて天板を外してみたら、そこから大量の女物のワンピースに下着、さらにはハイヒールのサンダルが……。すぐにサワンに問いただすと、『これはお客さんの忘れ物を預かっていただけ』の一点張り。
どうやらタイでは天井裏に物を隠すことがよくあるらしいのですが……“そんなわけあるか!”って感じですよね(笑)」

“浮気”エピソードはそれだけではない。

「新居に引っ越すとき、サワンから『引っ越しの準備が大変だから、子どもと一緒に近所のお姉さんの家に泊まったら?』と言われるがままにしたんです。ところが、いざ新居に入ると、冷蔵庫に知らない醤油が入っていたり、ベッドカバーに砂がついていたりして……これはもう“明らかに女を連れ込んでいたな”ってわかりました。

それで怒りが爆発して、寝ているサワンの髪を半分バッサリ切っちゃったんです(笑)。その結果、仕方なく坊主にすることになり、今でもずっと坊主にしていますね(笑)」

夫婦喧嘩で4ヶ月家出!

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今年のお盆は新婚生活を送ったタイ・パタヤへ。サワンさんの姪っ子が経営する「ERIKO KARAOKE」にて
しかし、パタヤでの生活は長くは続かなかった。2002年から2003年にかけて、中国や東南アジアで鳥インフルエンザとSARSが流行し、これまでタイを訪れていた旅行者が激減。その影響で、サワンさんの仕事も急に暇になった。

収入が不安定になった映子さんとサワンさんは、日本に拠点を移す決断をした。帰国後すぐ千葉の同じ鉄鋼会社に採用され、サワンさんは工場勤務、映子さんは営業事務として働き始めた。だが、サワンさんの“浮気癖”は日本でも収まらなかったという。

「日本に戻ってからも、サワンが以前遊んでいた日本人女性がいて、その子から会社に直接電話がかかってきたことも(笑)。そのときは、つい『そんなに欲しいなら差し上げましょうか?』なんて言ってしまいましたね。
結局、その女性とは別れたのですが、1か月も口をきかない期間がありました」

他にも小さな価値観の違いでストレスが溜まることも……。

「私はきっちりしたい性格なのに、サワンは何でも『マイペンライ』で済ませてしまうので、だんだん『マイペンライ』という言葉自体が嫌いになってきて(笑)。あと、ラオス人は家族や親戚との絆がとても深いので、核家族で育った私には、少し煩わしく感じるときもありました。さらに子育てに関しても違いが多く、うつ伏せ寝を勧められたり、母乳は良くないと言われたり、妊娠中にビールを飲むと良いなど、驚くことばかりでしたね」

お互いそうしたことが積み重なり、今年の1月にはサワンさんが家出してしまったのだとか。

「パタヤにある姪っ子が経営するカラオケ店の手伝いに行ったんです。もともとは会社の社長と一緒にタイ旅行へ行く予定でしたが、そのまま『仕事が暇な時期だから』と休暇を取り、サワンだけタイに残ることになりました。最初は1か月ほどのつもりだったのですが、結局、4か月も滞在していましたね」

現在、サワンさんは庭木や植栽の管理を行う造園業に従事している。「せっかく日本に来たのだから、別のことに挑戦してみたい」と言ったのがきっかけだったという。

子どもも今年で25歳。家族3人で映子さんの地元である千葉県で暮らしている。サワンさん自身も、「今は浮気をせずに真面目に働いている」と語るが……。

「ラオス人は本来、真面目な国民性ですが、サワンは日本のバブル期にタイで長く日本人相手に働いていた影響もあり、どこかタイ人のような“プレイボーイ”感があります。
彼には何度も浮気をされましたが、遊んでいても、最後には真面目に戻ってくるんですよね。それにしても、あのカオサンでのナンパからここまで結婚生活が続くとは、当時の私も思っていませんでしたね(笑)」

<取材・文/カワノアユミ>

【カワノアユミ】
東京都出身。20代を歌舞伎町で過ごす、元キャバ嬢ライター。現在はタイと日本を往復し、夜の街やタイに住む人を取材する海外短期滞在ライターとしても活動中。アジアの日本人キャバクラに潜入就職した著書『底辺キャバ嬢、アジアでナンバー1になる』(イーストプレス)が発売中。X(旧Twitter):@ayumikawano
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