昔の写真を見たことがあるが、確かにスタイルも良く、顔も整っていて、いつの時代に見ても「美人」と言える人だろう。「若いころはたくさんお見合いの話がきたのよ、ふふふ」と言っていた。父も顔が整っていた。だから、自分と血が繋がっている孫たちの見た目にもこだわりがあったのだろう。
「お姉ちゃんみたいな顔にならなくて…」
我が家は5人きょうだいだ。一番上が私で、次女、長男、三女、次男と続く。5人いると、きょうだいでも随分と顔が違う。同じ親から生まれたんだろうな、という要素はあるものの、パーツがどんなふうに配置されるかとか、肌の色がどうとか、顔の形、髪質でずいぶんと変化する。三女は色が白く、目もパッチリ二重。あまり両親に似ていなかったけれど、祖母曰く、クォーターの祖父に似ているらしい。次男も生まれたときは色白で、赤ちゃんながらに目鼻立ちがしっかりしていた。成長するにつれてどう見てもイケメンだな、という風貌になった。
私は、よく祖母から「お父さんと母親の悪いところをミックスして生まれたのね」と言われた。
ちなみに次女と長男は母方によく似ていた。誰に似るかなんて、子どもたちにはどうしようもない。
しかし、祖母は「こんな子がうちの息子の子どもとして生まれるはずがない」と辛く当たった。祖母からの私への当たりが少しマシだったのは、明らかに標的が次男と長男に向いたからだろう、と気がついたのは自分がもう少し大人になってからだった。
母に対する暴言「だらしなく子どもばかり垂れ流して」
次女と三男への当たりも強かったけれど、とにかく母への罵詈雑言、暴力が凄かった。見た目が醜い、学がない、外に出すのが恥ずかしい、貧乏な家で育ったから意地汚い、あらゆる言葉で罵った。罵り始めたら長かった。
時には昼食が終わって夕食の支度が始まるまで長時間説教することもあった。罵る言葉の〆は決まって「だらしなく子どもばかり垂れ流して」。これを子どもたちの前でも言うのだから始末が悪い。幼心に「私たちは“垂れ流された”んだなあ」と思っていた。
そんなことを言われ続けているうちに母の心はおそらく無になったのだろう。母の役割は全て祖母が奪ってしまってすることがなかった。祖母に言われたことをするだけ。
もし、ボーッとしていることがあると殴られる。力がないから殴るとケガをするという理由でフライパンで母を殴ったりしていた。たまに包丁が飛んだこともあるらしい。そんな状態だから父親から暴力を受けても母が助けてくれたことは記憶の中で一度もない。母との思い出も特にない。
大変だった母には申し訳ないが、私の中で母は「家にいるだけの他人」という存在だった。
5人きょうだいの中で、祖母にランク付けされていた
孫に対しては、わかりやすく祖母の中でランクがついていた。三女や次男は手放しでかわいい、次女、長男は無条件で嫌いだから何をしてもいい、とやりたい放題。八つ当たりの先も2人だった。
私がよく言われたのは「男だったらよかったのに」。
ただ、父親や祖母の勝手な教育なので、学校の勉強に反映されるかというとそうでもない。小学校まではどうにかなったけれど、中学では化けの皮が剥がれた。そもそも私はそんなに頭が良くない。二次関数で躓いた。文系は得意だったけれど、勉強以外で許されていたのが本を読むことだから、というだけだ。
勉強がイマイチだとわかると、日々の学習に付随して家事を叩き込まれた。
いまだに自分が醜い顔だと思ってしまう
「あんたみいなのは嫁の貰い手もないだろうし、私やお父さんの面倒をしっかり看られるだけのことはできるようになりなさい」……不意に今、この言葉が祖母の声で再生されてゾッとした。
祖母が亡くなってから、私たちきょうだいを見た目で揶揄するような人はいなくなった。ただ、私はどうしても自分が醜い顔だと思ってしまい、鏡を見るのも写真も嫌いだ。
次女と三男は行方不明だからわからないけれど、三女と次男は見た目に対する自己肯定感が高い、と傍目から見ていて感じる。もちろん、彼らは彼らなりの悩みがあるんだけれど、やはり自己肯定感の一部というのは親が作るものなのだということなのだろう。
もしこれ読んでいる方の中に、小さな子を持つ方がいらしたら、できるだけ「かわいい」って言ってあげてほしい。その一言の「かわいい」が大人になったときに心を強くする欠片になるはずだ。
ちなみに、祖母は14年ほど前に他界した。死ぬ前は寝たきりで、その面倒は母がみていた。一度だけ、「あれだけ虐げてきた人間に介護されるのはどんな気持ちなんだろうね」と母が笑っていたことがある。そのときの表情が、未だに忘れられない。
<TEXT/ふくだ りょうこ>
【ふくだ りょうこ】
大阪府出身。