山田智之さん(仮名)が新幹線の車内で目撃したのは、子どものささやかな悪戯(いたずら)と、それを黙認する母親の姿だった——。
子どもの迷惑な“遊び”を注意しない母親
「あの一言がなければ、きっとその“遊び”は目的地まで続いていたかもしれません」8月の昼下がり。車内はほぼ満席だった。
「通路を挟んだ向かい側には、30代くらいの外国人観光客の母親と小学生くらいの子ども2人が座っていました」
発車してしばらくすると、下の子がペットボトルのジュースを手に取った。何やら企んでいるような表情でニヤニヤしながら、ジュースを口に含む。そして次の瞬間だった。
「前の座席テーブルめがけてピュッと吹きかけたのです。まるで射的のように繰り返し、座席テーブルの表面には水滴がポツポツと広がっていきました」
母親はそれを横目で見ているようでありながら、手元のスマホから目を離さず、完全に知らんぷりを決め込んでいる。
「逆ギレされるかも」声をあげられない乗客たち
山田さんは呆気にとられながらも、注意するべきか迷っていた。「やめさせたほうがいいと思うものの、外国人なので言葉が通じるか。もしかすると逆ギレされるかもしれない……と、ためらってしまいました」
隣の席の乗客もチラチラと視線を送っているが、声をあげない。車内には新幹線特有の低いモーター音が、微妙な空気と共に流れていた。
この状況を変えたのは、山田さんの後ろに座っていた中年男性だった。
一言で変わった車内の空気
「そういうことはやめようね」山田さんが驚いて振り返ると、男性は立ち上がり、子どもの目線に合わせるように身をかがめて話しかけていた。声は優しいものの、しっかりとした口調だったという。
男性の一言に、子どもは一瞬固まり、口に含んだジュースを吐き出せずにいた。母親はどうしているのか。
ようやくスマホから視線をあげて、無言で子どもからペットボトルを取り上げると、キュッとフタを締めた。
その後、親子は静かに座り直し、注意した男性も何事もなかったように席に戻って車窓から夏の景色を眺めていたという。
見ず知らずの子どもに対する注意は、時に予期せぬ反応を招くリスクもある。しかし、この男性の冷静で優しい一言は、騒ぎを大きくすることなく状況を収めた。山田さんの胸に残ったのは、緊張感とともに、勇気ある行動への敬意だった。
<取材・文/藤山ムツキ>
【藤山ムツキ】
編集者・ライター・旅行作家。取材や執筆、原稿整理、コンビニへの買い出しから芸能人のゴーストライターまで、メディアまわりの超“何でも屋”です。著書に『海外アングラ旅行』『実録!いかがわしい経験をしまくってみました』『10ドルの夜景』など。