骨形成不全症とともに生きる咲さん(26)は、身長103センチで車椅子生活を送る女性です。現在はYouTubeやSNSでの発信、講演活動を行いながら、自身の経験を伝えています。
今回は咲さんに、幼少期から80回骨折したという壮絶な半生、またその過程で育まれた人生観について伺いました。
幼少期から“骨折する日常”
ーーお生まれになってから幼少期の頃の咲さんについて教えてください。咲さん:両親は、私が生まれる前に病院から「この子は足に障害を持って生まれてくるかもしれない」と言われていたと聞きました。生まれたときにはすでに骨折していて、骨形成不全症だと分かりました。
ーー生まれたときから骨折とは、どういうことなのでしょうか。
咲さん:原因は分かりませんが、母のお腹の中で動いたか、生まれるときに力が加わり骨折したみたいです。
小さい頃は、自分の障がいのことなんてまったく分からないので、少し動いただけ、手を振っただけで何度も骨が折れました。当時は私の障がいを知らないお医者さんも多く、触診中に別なところが折れたり、無理に動かして治りかけの部分がまた折れたりすることもしょっちゅうでした。
家族は、レントゲン室から聞こえる私の泣き叫ぶ声が苦痛だったようです。ある先生が「この子の障がいは見守ることしかできない。本当に痛くなったら泣くんだから、固定だけしてしばらく様子を見ましょう」と言ってくださって、通院回数が減りました。
ーー幼稚園や保育園などには行かれましたか。
咲さん:障がい者の方々が通う幼稚園に行き、洋服の着替えやお手洗いの仕方など、一人でできることを増やしてもらいました。でも、私は面倒くさがりな性格で、いかに人に助けてもらえるかを考えていました(笑)
小学校から普通学校に通うことを決断

咲さん:小・中学校は、社会を勉強させておきたいとの親の意向から、教育委員会と打ち合わせを重ね、普通学校に行くことになりました。
障がい者が普通学校に行くことに賛否両論ありますが、社会に出たらほとんどが健常者ですし、私は「周りに歩幅を合わせる」という意味ですごく鍛えられたと感じています。
ただ、いじめを受けたり、逆に周りに迷惑をかけすぎていたりしたらよくないとのことで、母から定期的に「今の学校はどう?」「もしも辛いことがあれば特別支援学校に行くこともできるからね」と声をかけてもらってましたね。
ーー普通学校での生活で、大変だったことはありますか。
咲さん:ありがたいことに友だちにはとても恵まれ、いつも誰かが隣にいてくれました。
案外、障がいのことって子どもたちのほうが柔軟に対応してくれるんです。もしかしたら、私のことをよく思っていない人もいたかもしれないけど、態度に出さず見守ってくれていたと思います。今でも声をかけてくれたり、遊びに誘ってくれたりする人もいます。
困ったことを強いて言えば、先生との関係がちょっと難しかったです。
ーーたとえば、どんなことですか?
咲さん:先生たちって過剰なくらい心配してくれて……それが心苦しかったです。
あと、学校生活のことではありませんが、思春期特有の悩みもありました。私は障がいの影響もあってか、女の子の日や胸が大きくなるのが遅かったので、自分は今後どうなっていくんだろうという不安はありました。
ただ、この悩みは成長するにつれて解消されていきましたね。
高校は特別支援学校へ進学した理由

咲さん:設備的な問題や、高校からは市から派遣される介助員が利用できなくなることを考慮し、特別支援学校に進むことになりました。
ーー咲さんが通われた特別支援学校は、どのようなところだったのでしょうか。
咲さん:特別支援学校と聞くと、寝たきりの子などが通うイメージを持つ方が多いと思いますが、私の高校は肢体不自由の方を中心に受け入れていました。脳性麻痺の方や、私みたいな骨形成不全症の方などです。
とはいえ、小・中と普通学校に通っていたため、高校から特別支援学校に行くことには葛藤がありました。なので、文化祭に行ったり、高校の先生に学校のよさを聞いたりして、自分の経験がより豊かになるかもしれないと思えたタイミングで行くことを決めました。
その後は四年制大学に進学できて、ずっと夢だった福祉と心理学を学びましたし、アルバイトや就活も経験しました。現在は一般の会社で働きながら、実家で生活しています。
ジョウロの重さで骨折してしまう
ーーSNSで、これまでに80回骨折を経験したと紹介されていました。本当に、些細なことで骨折してしまうのでしょうか。咲さん:くしゃみや笑っただけでも折れてしまうくらい、骨折しやすいです。
いつもはできていた動作でも、ある日突然骨折してしまうこともあります。たとえば、お花に水をあげようとジョウロを持ったら、重くて折れてしまったこともありました。
また、一人でお手洗いに行けるようになってからは、手洗い場に敷いてあるマットで転び、腕を折ってしまったこともありましたね。
ーーすぐ骨折してしまうことで、学校生活に影響はありましたか。
咲さん:中学時代は強豪の吹奏楽部で朝から晩まで練習する充実した日々を過ごしていたのですが、骨折の影響で半年間部活を休まなければいけないこともありました。
大学時代も体調を崩していたため、ちゃんと学校に通えるようになったのは3年生からでした。
ーー青春時代は、楽しさだけでなく悔しさも入り混じった時間だったのですね。
咲さん:骨折すると、あたりまえに毎回痛いですし、折れた直後って悔しくて。今でも、生活の節々で「なんでこんなところで骨折しないといけないんだ」「こんな障がいじゃなければ…」と思うことは少なくありません。
生活のなかで心がけていること

咲さん:外出時は人とぶつかって私が怪我をすると、相手にも悲しい思いをさせてしまうので、出かける場所やタイミングは選んでいます。
めったに遠出はしませんが、するときは万が一のことを考えて行き先にある病院を調べますね。何が骨折の原因になるかわからないので、やったことがない行動をむやみにしないように心がけています。
彼氏とは普通のデートをしていますよ。ディズニーランドのようなテーマパークに行くと、楽しくていろいろ乗りたくなってしまいますが、プーさんのハニーハントのような安心して乗れるものだけに乗り、あとは食べ物や写真撮影を楽しんでいます。
これはよく聞かれるのですが、夜の営みも恐らくみなさんと変わらないと思います。
痛みのおかげでもう一回頑張ろうって思える

咲さん:こんなことを言うのはあれですけど、骨折して痛い思いをするたびに「私、まだ生きてるんだ」って感じるんです。
4歳のときに頭を骨折し、手術のために坊主にせざるを得なくてすごく悔しかった記憶があります。あの時に比べれば「まだ骨折だけで済んだ。生きているだけでもよかった」とも思えるようになりました。
痛いことには変わりないけど「この痛みなら治る」と考える余裕も生まれましたし、痛みのおかげでもう一回頑張ろうって思えます。
この考え方に至るまでには時間がかかりましたが、今のように受け止められるようになってからは、気持ちが楽になりました。
ーー最後に、読者にこれだけは伝えておきたいという思いがあれば教えてください。
咲さん:障がいを持っていると、どうしても「こうしてほしい」「こんなサポートがほしい」と要望が出てきてしまうのですが、手厚くサポートしていただけることが多く、日々出会う方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
障がいを持つ人間のひとりとして、私たちはいろんな場面でみなさんの優しさを感じてるよってことを伝えたいです。
<取材・文/松浦さとみ>
【松浦さとみ】
韓国のじめっとしたアングラ情報を嗅ぎ回ることに生きがいを感じるライター。新卒入社した会社を4年で辞め、コロナ禍で唯一国境が開かれていた韓国へ留学し、韓国の魅力に気づく。珍スポットやオタク文化、韓国のリアルを探るのが趣味。ギャルやゴスロリなどのサブカルチャーにも関心があり、日本文化の逆輸入現象は見逃せないテーマのひとつ。X:@bleu_perfume