専門店も増えている中、逆に「そば」はそれほど多くない。タイ人も麺食いであるものの、そば店は数えるほどしかないのが現状だ。タイ人の好き嫌いというよりは、タイにそばの製造者が少ないことが大きい。タイ国内で生産されるそば粉は、主要作物とみなされておらず統計もしっかりと出されていないほど少ない。飲食店がそばを出す場合、自店でそば粉を仕入れてそば打ちする必要が出てきて、専門店でない限りはなかなか難しいのだ。
そんな中、パンデミックをきっかけに澤田真吾さんがそばを製造する工場を立ち上げた。澤田さんはそば職人あるいは調理師出身というわけではなく、なんとボイラー機械のセールスエンジニアだ。
パンデミックで“本業とは違う仕事をするべき”と考えた結果
澤田さんはバンコクにある日本人学校で小学・中学時代の1980年代を過ごし、高校・大学は日本。実はタイの日本人学校は世界中にある日本人学校の中でも昔から学業水準が高いとされ、日本でいう進学校といえるレベルにある。理系の澤田さんは大学を卒業後に日本で建設系の技術者として働き、機を見た30代、いつか帰ってきたかったタイに戻ってきた。
その後タイで会社員となり、転職でタイ人が経営するボイラー機械の会社に入った。ここでは社員というよりは出資者のひとりとなって、幹部として今も働いている。
しかし、世界中を襲ったあの新型コロナウイルスの脅威が澤田さんの会社にも忍び寄ってくる。
なんとか乗り越えたとき、澤田さんは「まったく違う業種にも手を広げるべき」と考える。そこで飲食をなんとなく思い浮かべた。そして、小学生のころに過ごした東京・浅草の友人と再会。友人は店舗を持たないそば職人となっており、そこからヒントをもらい、そばを作りはじめることとなった。基本は友人に教わりつつ、タイで販売するそばの配合は自力で研究した。
さすがにそば製造機は日本のものが一番なのでそれを使うしかない。それよりも重要と考えたのは、タイ国内で展開するには冷凍保存が必須ということだ。澤田さんは既存の製品を買わず、なんと既製の冷凍庫を改造して急速冷凍機にしてしまう。といっても、冷凍庫そのものに手を加えず、自分で設計した仕掛けを加えることでできたての品質を保ったまま凍らせることができるようにした。
澤田さんは冷凍の知識がなかったのに、関連する勉強を自分でしてゼロから造ってしまう。根っからのエンジニアなのである。
そば粉を求めてオーストラリアまで

そば粉はタイ国内でもさまざまなところから仕入れられるが、残念ながらタイ産といわれるものはそれほどクオリティーがよくない。そもそもタイ国内に流通するものがタイ産かどうかも怪しい状況になっているという噂もある。そば粉を作っていたタイ北部の農家の後継ぎ問題で安定供給が困難な状態になっているのだ。それなのにタイ産と偽って流通しているものがほとんどで、実はミャンマー産だったりする。結果的に、タイで入手できるもっとも安価なそば粉はミャンマー産ということになるのだが、これもまた品質が安定しないのが現実だ。
そこで澤田さんが考えたのがオーストラリア産そば粉である。1980年代から日本人がオーストラリアでそば粉を植えてきたのだ。2019年までの年間生産量は実に約2000トンまで増えた。ただ、2022年23年は約480トンほどの水準にまで収穫量が落ち込んだ過去もある。とはいえ、オーストラリア産そば粉の需要は依然高いので、2035年までには971トンまで回復する見通しもある。この先も安定して鮮度のいいそば粉がオーストラリアから豊富に手に入れることが可能だ。
さらにいえば、オーストラリアなら澤田さんの趣味にもぴったりという事情もある。
実は空飛ぶそば職人でもある

グライダーはエンジンがなく、上昇気流だけで飛び続ける飛行機だ。あらゆる航空機の中でもっともパイロットの腕が試される。目に見えない上昇気流を知識と勘でみつけ、滑走路という決められた場所に帰ってこなければならないという、聞いただけで難しい乗りものなのだ。
「空に上がったら自分の腕しか信じられるものがない」
と澤田さん。タイでも小型飛行機の操縦はしていたものの、グライダーがしたくて2024年からオーストラリアのフライトクラブに飛びこんで参加。タイにはグライダーがないので、昔のままの空への情熱を持ってオーストラリアに足を運んでいるのだ。
そんな趣味がそば粉とつながる。しかも、これも自分で生産者をみつけだし、飛びこみで相談を持ちかけ、最終的にオーストラリア国内の販売価格とほぼ同じ値段でタイに出してもらう約束まで取りつけた。
すでにバンコクでは人気店に卸している

このそばはすでにバンコクの有名店などに卸されている。大阪発のバンコクでは知らぬ人のいない居酒屋チェーンはもちろん、地鶏で有名なヤキトリ店、タイ版『料理の鉄人』元審査員の料理店屋、東京発の居酒屋チェーン店、そのほか複数の日本料理店などだ。居酒屋では締めメニューのひとつになっていて、その店のこれまでの名物だった締めの料理をもしのぐ人気だ。
小売りも開始し、年越しそばに間にあった

取材時点では日本人経営の和食食材店での販売だけになるが、少なくとも2025-26年の年越しそばは、家庭内でも澤田さんのそばが間に合う形となった。
現時点ではまだ製造キャパシティーにも余裕があるし、小回りの利く規模であるため、澤田さんは顧客との連携も密にとっている。今だと顧客から田舎そばを求める声もあり、目下研究中だ。純粋な日本そばだとタイ人、あるいは外国人に合わないケースもあるので、抹茶やトムヤム風味の製品ラインナップがすでにあるように、新商品用にさまざまな食材の模索も怠っていない。
ボイラーの技術営業は今も続けているが、結局ボイラーもそばも両方が本業。澤田さんの時代の日本人学校は今では考えられないくらい破天荒な事件が起きたり、アグレッシブな児童が多かったらしい。そんなところで育った澤田さんは来年59歳。大台一歩手前だが、今もアグレッシブに仕事と趣味に走っている。
【取材協力】
Asakusa foods Thailand Co., ltd.(澤田さんのそばの製造会社)
<取材・文・撮影/髙田胤臣>
【髙田胤臣】
髙田胤臣(たかだたねおみ)。タイ在住ライター。初訪タイ98年、移住2002年9月~。著書に彩図社「裏の歩き方」シリーズ、晶文社「亜細亜熱帯怪談」「タイ飯、沼」、光文社新書「だからタイはおもしろい」などのほか、電子書籍をAmazon kindleより自己出版。YouTube「バンコク・シーンsince1998│髙田胤臣」でも動画を公開中