ストーカー被害者からの相談や加害者の更生を請け負う団体「ストーカー・リカバリー・サポート」は今年、設立10年目になる。同団体を運営する守屋秀勝さん(60歳)は、自身も過去に6人の女性にストーカー行為をおこなった“元加害者”。
「ストーカーは依存症」と話す守屋さんは、どのようにして立ち直り、自らの過去とどう向き合っているのか――。
フラれた腹いせに放火し少年院へ…「6人に20年粘着」した元ス...の画像はこちら >>

フラれた腹いせで豚小屋に放火

――ご自身がまさにストーカーだったとのことですが、その期間や態様について教えてください。

守屋秀勝(以下、守屋):事実です。私は多くのメディアで「6人の女性に対して計20年ほどにわたって過去にストーカーをおこなった」とお話しています。もちろん、ずっとストーカーをしていたわけではなく、断続的にやっていました。ただ、思い返してみると、その原点は高校時代にあったように感じます。

 私は長野県が地元なのですが、高校時代に後輩の女性と交際していました。今思えば「子どもの恋愛」で、2ヶ月くらいでフラれてしまったんです。しかし私はまだ好きでしたし、好意を一方的に遮断されたことに怒りを感じました。そこで、「お前のせいで俺はこんなことをしているんだ」と相手にわからせたくて、知らない人が所有している豚小屋に火を放ったんです。

――歪んでいますね。

守屋:まったくそうなんです。しかし、当時は相手が「私のせいで彼がこんな犯罪に手を染めてしまった」と思ってくれると考えていたんですね。
私は豚小屋に火を放つと、自ら警察に電話しています。そこで、非現住建造物等放火罪(刑法109条)の容疑で逮捕され、中等少年院に送られることになりました。

高1の春に一度補導されていた

――怒りを感じて放火、というのが通常の感覚だとわからないのですが……。

守屋:昔から、怒りを感じると歯止めが効かなくなる傾向はありました。実は放火は初めてではなく、自宅に火を放ったことがあります。全日制高校に入学したばかりの高1の春のことです。現住建造物放火未遂罪で警察署にて補導されたものの、当日帰宅できました。この約半年後、家庭裁判所で不処分となっています。この件については学校で処分もありませんでした。その後、まったく別件を起こして退学になり定時制の高校に通うことになって、先の事件を起こすわけですが……。

――言われてみれば、その事件がストーカーの原点だったようにも感じますね。

守屋:実際、その8年後に当時の被害者(後輩)と再会して、またつきまとうんです。後輩は6人の被害者のうちのひとりということになります。


「拒絶」を接点とみなす背景には幼少期の体験が

――ところで、守屋さんが相手の女性に対して粘着するのはどうしてでしょうか。

守屋:根底には、「自分のことをわかってほしい」という思いがあるのだと思います。これは現在、さまざまな場所でお話させていただくのですが、ストーカーにとっては、相手とどんな形でもかかわることが必要なんですね。一般的に強い拒否の言葉である「嫌い」「死ね」などの言葉でも、ストーカーにとっては相手と接点を持てたことで救いになるんです。当時の自分も、そうした考え方だったと思います。

――そうした考えた方になる原因として、「見捨てられ不安」を守屋さんは挙げていますよね。

守屋:そうですね。これは私の幼少期の体験ですが、「母親から見捨てられるのではないか」という不安が常にありました。私の母は強迫性障害に罹患しており、ヒステリックな人でした。0か100かという極端な思考回路の持ち主で、今考えると境界性人格障害だったのではないかと思います。

 たとえば、激昂すると、祖母(親父の母親)の位牌を折って原付バイクのかごに放るような人です。ほかにも生命に対する慈しみの気持ちが感じられない人で、父親の知人に譲り受けた猫を持ち帰ったらそれに激怒し、私の目の前で濁流の川に猫を流したこともあります。その光景は、今も私の目に焼き付いています。
私は寝ているときに何度も首を締められたことがありますし、母から地元の川を指して「流してやるからな」と言われたこともあります。そうした経験から、「いつか捨てられるのではないか」という恐怖を抱えた幼少期だったと思います。

対人関係の構築に苦しんだ人生

――ご自身もまた、発達において特性を抱えておられた。

守屋:そうだと思います。小さい頃から落ち着きがなく、不注意な面が多く、問題児の部類だったと思います。また、大人になってから、「ADHDの傾向性が高い」と診断を受けました。

――社会生活において、ご自身の特性を自覚する場面がありましたか。

守屋:対人関係が上手に構築できないんですよね。正社員やアルバイトを含めて、20~30回は転職をしていると思います。

――もともとの特性に加えて、生育歴における強い不安感があることで、相手の考えを推し量ることが難しかったわけですか。

守屋:俯瞰してみると、そうだったかもしれません。たとえば、30歳くらいのときに勤めた職場では、こんなことがありました。職場の先輩で、7つくらい上のシングルマザーの方がいました。
明るく、今思えば誰にでも隔てなく優しい女性でしたが、私は交友関係が狭かったんです。クリスマスに淋しくしている私を気遣って彼女が食事に誘ってくれたことも手伝って、私は彼女に好意を伝えました。

 しかし、結果は「年下は全然興味ない」というつれない返事でした。普通はここで終わりなのだと思いますが、私は彼女にますます執着してきました。電話をがんがんかける、親戚を装って電話帳で電話番号を手に入れ、探偵に依頼して住所を割り出す……などです。

 結局、話し合いの最後に彼女が発した言葉でこれまでの好意が怒りに変わり、女性に殴りかかってしまったんです。そのとき、刃物を持っていたので、銃刀法違反で逮捕されることになりました。

結婚後にも、懲りずにストーカー行為を…

――穏やかではないですね。

守屋:これがストーカーの心理で、一般の人たちになかなか理解されないのですが、その刃物で彼女を刺そうとは思っていなかったんです。本当は弱い自分が強くいられるための、いわば”お守り”代わりだったんですよね。

――これまで加害者だった守屋さんが、なぜ回復できたのか知りたいです。

守屋:2003年に結婚をして、大阪で暮らしていました。それまでストーカー行為はしていなかったんです。
ところが、とある女性に心を奪われ、東京で単身赴任をすることにしました。もちろん仕事での単身赴任でしたが、実態はストーカーです。そこで警察から口頭警告を受けた3日後、間髪入れずに書面警告で呼ばれ、「次は逮捕だ」と言われました。

 気持ちが苦しくなってしまい、大阪に逃げるように帰ったとき、「自分が病院に入院してきちんと立ち直れば、相手は振り向いてくれるのではないか」と思ったんです。妻にも相談して、生活保護を受けながら再起を図ることにしました。

模範囚を演じていたら、心境に変化が

――入院生活はいかがでしたか。

守屋:千葉県にある依存症専門病棟に入院しました。保証人は妻でした。しかしそこからが地獄でした。当時の私は、「入院=回復」だと思っていたのです。

 しかしそこでの治療は、私の望む治療ではありませんでした。なにか文句を言えば「退院はできない。退院したいと言うなら医療保護入院だ」と言われ、問答の末に隔離をされました。
その間、「どういうふうに自分が悪かったのか、反省文を書け」ということでした。反省をしていないのに、医師の望む作文をさせられる。気が狂いそうになってナースコールをしても、「これ以上騒ぐなら身体拘束です」と。心のなかで、「これは治療じゃない」と思いました。実際、医師から「お前は治るまで絶対に出られない」と恫喝もされました。

――退院できたのはどうしてですか。

守屋:医師の言ったとおりに治療をおこない、模範的な患者を演じたからですね。徐々に回復していく過程を演じたんです。心の奥底にあるものと違うものを演じていくうち、「ここを退院したら、被害者の支援や加害者の更生に携わろう」と誓いました。

――その時点では、回復していないですよね。

守屋:おっしゃる通りです。退院後に自分でアドラー心理学を読み、その考え方が自分にはまったことで、自らのおこないを俯瞰的にみることができるようになりました。それがきっかけで、変わっていけたと思っています。

“加害者側”だったからこそ相談される

――ところで、被害者の方が相談にくる場合、なぜ“元加害者”の守屋さんを選ぶのでしょうか。

守屋:よく言われるのは、加害者の心理を熟知しているからだそうです。被害者からすれば、どのような気持ちで自分に粘着しているのかわからず、とても恐怖を抱いているわけですよね。加害者側の心理状態を把握することによって、対処をしたいという考え方があるのだと思います。また、私がさまざまなメディアに出ていることも、一定の信頼を獲得しているのではないかと感じます。

――今後の展望を聞かせてください。

守屋:私は現在、医療機関や弁護士とも連携して活動を行っています。ひとりでも多くの被害者の方を救うために、微力ながら活動を続けていければと思っています。”無敵化”してしまった加害者を、少しでも多く”無力化”することが私の使命だと考えています。

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 守屋さんが自らの過ちに向き合い、沸き起こってくる御しがたい感情と闘うのは容易ではなかっただろう。加害者の更生こそが再犯を防ぎ、被害者の救済につながる。これからはその生き方で、自らの回復を示す。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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