短すぎた大阪桐蔭の夏(前編)

「ほんまやったら、大阪桐蔭ってどこのブロックにおるはずやったん?」

 7月24日、GOSANDO南港球場で行なわれた大阪大会準々決勝。ネット裏のスタンドで私の後ろに座っていた3人組の野球少年のうち、ひとりがこんな言葉を口にした。

聞こえてくる会話から察するに、3人は他府県の高校でプレーする現役高校球児。中学時代のチームメイトを応援するため、関大北陽と金光大阪の一戦を観戦に訪れたようだった。

 夏の大会は3300校あまりが参加する壮大なサバイバル。優勝校を除けば、すべてのチームが敗者となる。そんな過酷な戦いで、「ほんまやったら」と勝ち進むことを前提に語るのは、本来おかしなことなのかもしれない。それでも、そう口にしたくなる気持ちはわかった。

 この時点まで大阪桐蔭は悠々と勝ち上がっていて、さらにここから激戦を勝ち抜き、甲子園春夏連覇に挑んでいくものだと信じていた。しかし大阪桐蔭はこの5日前、4回戦で大阪立命館にタイブレークの末、敗れた。

【高校野球】「選抜はごまかしの優勝でした」春の王者・大阪桐蔭...の画像はこちら >>

【記者も予想しなかった夏の終わり】

 波乱を起こした大阪立命館の前身は、昭和の時代には各大会で上位進出を果たすことも珍しくなかった初芝。かつて「打倒PL」に燃えた実力校が、現代の王者・大阪桐蔭を倒す──。そんな大金星は、高校野球ならではの醍醐味を感じさせた。もっとも、今春の大阪大会でベスト8入りするなど力をつけていることは承知していた。それでも、この夏、大阪桐蔭を倒すイメージはまったくなかった。

 多くのメディア関係者も同じように考えていたのだろう。波乱の結末となった19日の試合終了直後、三塁側奥の場外スペースで大阪桐蔭の監督・西谷浩一を囲んだ記者は10人にも満たなかった。大阪桐蔭が勝ち進むことを前提に、違う会場の取材へ向かった記者が大半だった。

 しかし、予想どおりとならないのが高校野球の世界。春夏連覇へ向けた大阪桐蔭の夏はここで終わった。ゲームセットから10分ほどが過ぎ、西谷の囲み取材が始まった。

── きわどい試合でしたが。

「みんな頑張ってくれたんですけど、うまく勝ちに導いてやれなかったです」

 この「導いてやれなかった」は、チームが敗れた際、西谷が必ず口にする言葉だ。選手の責任を問うような発言は決してしない。それが、西谷が取材対応で貫いてきた揺るぎない信条なのだろう。

 1点を追う延長10回、反則打球の判定によって"幻"となった同点スクイズについての質問にも、淡々と受け答えをしていた。しかし、その落ち着いた口調とは裏腹に、悔しさややるせなさは、言葉以上に表情からひしひしと伝わってきた。

── バントは意外といえば意外......。

「満塁であまり警戒されることもないですし、まず同点にしたほうが相手にプレッシャーをかけられるかなと。1球目を空振りしたのを見て、スクイズのほうが確率は高いかなと思いました」

── (反則打球となった判定は)微妙ではありましたが。

「それは、僕らではなんとも言えないので」

 その後も西谷の口数が増えることはなく、囲み取材は早々に終わった。するとまもなく、年配の観戦者と思われる男性が、チームの戦いや采配への不満を苛立った口調で延々と叫び続けた。その声が響き渡り、ただでさえ重かった空気はいっそう張り詰めた。

 思い返せば、昨年夏の決勝で敗れたあともまったく同じ光景を目にした。そして、声を張り上げていたのも同じ人物だった。大阪桐蔭の2年連続となる夏の敗戦を、思いがけない形であらためて実感することになった。

 帰り道、スマートフォンを開くと、大阪桐蔭の敗戦を伝える速報が次々と配信されていた。見出しには「王者敗れる」の文字が並んだ。ただ、彼らはあくまで春の王者であり、夏はまだ何も成し遂げていなかった。

【最強投手陣が描いた春夏連覇への青写真】

 夏に向けて一歩ずつ階段を上っていた5月、西谷に話を聞く機会があった。日本一を成し遂げた選抜の話題になると、やや砕けた調子でこう語った。

「選抜はごまかしの優勝です。『(春夏連覇を達成した)2012年、2018年のチームと比べてどうですか?』と聞かれたりしますが、まだまだやることがいっぱいです」

 西谷が言った「ごまかし」とは、選抜で多用したエンドランを自嘲気味に表現した言葉だったのだろう。春は結果を残したものの、西谷が本来目指していた野球ではなかったのかもしれない。

「できるなら、もっとどっしりした野球で点を取りたいですよ。でも、それでは点が入らない。だから3番にも4番にもエンドランをさせたり、バスターをさせたりして、なんとかつないで勝ったのが選抜でした。まだまだ力不足です。夏はもう少ししっかり打って点が取れるように、毎日、山にこもってやっています(笑)」

 選抜後の春季大阪大会は、準決勝で関大北陽に敗れた。打線は迫力を欠き、西谷も「この春の戦いで、まだ力がないことをみんなわかったと思います」と、現状を冷静に受け止めていた。とはいえ、攻撃力や長打力は短期間で劇的に向上するものではない。それでも大阪桐蔭の春夏連覇に現実味を感じていたのは、歴代でも最強クラスと思えた投手陣の存在があったからだ。

 選抜で想像以上の成長を見せ、一気に評価を高めた2年生左腕の川本晴大。選抜後著しく力を伸ばした小川蒼介。そして、選抜では右肩の違和感から本調子ではなかった吉岡貫介が本来の状態を取り戻し、そこに石原慶人も加わる。この顔ぶれから大量点を奪うチームは、そう簡単には現れないだろうと思っていた。

 なかでも、夏を戦ううえで最大のカギを握ると見ていたのが吉岡だった。ただその裏で、誰も予想しなかったアクシデントが起きていたことを、この時はまだ知らなかった。

【夏の命運を握ったエース吉岡貫介】

 6月、富山での招待試合後、川本が左肩に違和感を訴えた。精密検査を重ねた結果、診断は左肩棘上筋の肉離れ。首脳陣は回復具合を慎重に見極めながら、最後まで選手登録の可能性を探り続けた。

 しかし、大阪大会開幕5日前の6月30日、苦渋の末に登録抹消を決断。高野連へメンバー変更を申請した。甲子園出場を果たせば、あらためて登録メンバーを編成できる。大会終盤や甲子園での復帰も視野に入れながら、大阪大会は川本抜きで戦うことになった。

「根性というよりド根性です」

 大会開幕直前、西谷が口にしたこの言葉は、川本の離脱を受けた指揮官の本音だったのだろう。川本を欠いたチームが夏を勝ち上がるためには、やはり吉岡の状態が最大のカギを握る。順調なら、プロ志望届を提出すればドラフト上位候補に挙がっても不思議ではない逸材。吉岡が本来の力を取り戻せるかどうかが、大阪桐蔭の命運を左右すると見ていた。

 5回コールドで勝利した初戦の汎愛戦(7月15日)のあと、登板のなかった吉岡に話を聞いた。6月下旬の取材時よりも表情は明るく、状態のよさをうかがわせていた。

 私のなかで、吉岡のベストピッチと言えば、2年秋の大阪大会準決勝の金光大阪戦である。2安打完封、14奪三振、無四球。球速はしばしば150キロを超え、鋭く曲がるスライダーに、金光大阪の打者たちもバットに当てるのが精いっぱいだった。

 だからその後、吉岡に状態を尋ねる時はいつも「金光戦と比べてどう?」と聞いてきた。

 弱音を吐かない吉岡は、コンディションが万全ではなかった選抜の時でさえ、「近い感じです」「同じくらいです」と答えていた。ただ、その言葉は少し割り引いて受け止めていた。

吉岡の表情を見れば、同じくらいではないことはすぐにわかったからだ。

 しかし今回、また同じ質問をすると、吉岡はニヤリと笑って「あの時よりもいい感じです」と言った。

 本来なら、これ以上ない追い風となるはずだった。その一方で、吉岡が普通に好投するだけでは足りないとも思っていた。

【勝ち上がるための絶対条件】

 近年の大阪桐蔭は接戦を落とすことが増え、以前のような他を寄せつけないな強さに陰りが見え始めていたからだ。その流れを変えるには、投手が圧倒的なピッチングをするしかない。事実、選抜では川本が圧倒的なピッチングを見せ、味方に安心感と自信を与えた。

 だが川本を欠く夏、チームを勝たせる投球を吉岡ができるかどうか。それこそが大阪桐蔭が勝ち上がるための絶対条件だった。

 3回戦・北野戦を翌日に控えた7月17日、4回戦以降の組み合わせが決まった。Aブロックには履正社、関大北陽、近大付、金光大阪、大阪学院大などが集まった。一方、大阪桐蔭は東海大大阪仰星や大体大浪商らがいるBブロックに入った。「いい場所に入った」というのが率直な印象だった。

 そして今後の勝ち上がり方と投手起用を思い描くと、吉岡の夏の初先発は7月19日の4回戦、大阪立命館戦になる可能性が高いと読み、午前10時開始の第1試合に合わせて、くら寿司スタジアム堺へ向かった。

 夏の命運を握る男が、満を持して初先発のマウンドへ上がった。

(文中敬称略)

つづく>>

谷上史朗●文 text by Shiro Tanigami

編集部おすすめ