長距離のフライトや新幹線で、前の席の人がリクライニングをぐっと倒してきた瞬間の、あの微妙な気持ち――経験のある方は少なくないと思います。狭くなった膝もとを恨めしく思いつつ、それでも「まあ、そういう座席だし」と自分に言い聞かせて、そっとやり過ごす。
多くの人がそうやって折り合いをつけている、はずなのですが。
「シート倒すな!」突然ブチ切れた20代男性客に機内は騒然。「...の画像はこちら >>
じつはこの「たかがリクライニング」だけに限りませんが、世界の空ではいま、じわじわと荒れているようです。国際航空運送協会(IATA)の統計では、機内迷惑行為の発生率は2021年からの3年間でおよそ2.7倍に悪化。「たかが機内のいざこざ」で片づけるには、じつはずいぶん重たい話なのです。

今回ご紹介するのは、そんなリクライニングをめぐって、10時間以上の欧州便で本気の“沸騰”を目撃してしまった商社マンの実録エピソードです。

記事の後半では、そもそもリクライニングは「マナー違反」なのか、それとも「乗客に認められた機能」なのか――航空会社やJRの公式見解、そして機内トラブルをめぐる最新の数字や判例を、少しだけ掘ってみます。

*  *  *

 新幹線や高速バスなど、長距離を移動する公共交通機関には必ず付いている座席のリクライニング機能。倒す際に後ろの乗客に声をかける人もいるが、実際には無言で倒す場合がほとんどだ。

 なかには舌打ちされるケースもあるようだが、それはごく一部。しかし、今から約7年前、ヨーロッパ行きの飛行機の中で中堅商社マンの米村誠也さん(仮名・49歳)が遭遇した現場は、そんな生易しいものではなかったようだ。

前の乗客がシートを倒そうとするのを許さない男

「シート倒すな!」突然ブチ切れた20代男性客に機内は騒然。「普通っぽい見た目だったのに…」/機内トラブルは世界で3年2.7倍。じつは“倒しても後ろが狭くならない”座席も登場していた
※画像は生成AIによるイメージです
「見た感じは私と同世代。言葉や雰囲気からして台湾か香港の方だったと思います。仮にAさんとしますが、彼がシートを倒そうとした時のことです。
後ろに座っていた20代くらいの日本人のBさんが突然、前のシートを何度も激しく叩いたんです

 すでに機内食も片付けられ、照明も薄暗くなっており、彼らが座っていたエコノミークラスは完全にお休みモード。周りではほとんどの乗客がシートを倒していた。

 Aさん、Bさんともに窓側3列シートの真ん中の席に座り、米村さんが座っていたのは通路を挟んだBさんの1列後方のシート。そのため、激しく叩いている様子がはっきりと見えたそうだ。

客室乗務員に注意を受けるも…

「私自身、出張で飛行機や新幹線を利用することは多いですけど、こんな人を見たのは初めてでした。座席を叩かれたAさんは何事かと思ったのかすぐに後ろを振り向きましたが、文句を言っていたのはなんと加害者であるBさん。はっきりと聞き取ることはできませんでしたが、おそらく『シート倒すな!』的なことを言っていたと思います」

「シート倒すな!」突然ブチ切れた20代男性客に機内は騒然。「普通っぽい見た目だったのに…」/機内トラブルは世界で3年2.7倍。じつは“倒しても後ろが狭くならない”座席も登場していた
※画像は生成AIによるイメージです
 すると、Aさんは通りかかった外国人の女性客室乗務員を呼び、事情を説明。直後、彼女はBさんを注意したため、これで終わったかに思えたが状況はまったく変わらなかった。Aさんは再びシートを倒そうとしたが、若者は先ほどのように叩きはしなかったが足でシートを押し返し倒れないようにしたのだ。

結局シートを倒せないAさん

 Aさんは再び振り向いて困惑した表情を見せるも今度は言葉を発せず、諦めたのかもうシートを倒してくることはなかったという。

「両隣に座っていたのは奥さんとお子さんだったみたいで、被害に遭ったのがこの2人でなくてよかったと思います。一方、Bさんは両隣の乗客とはまったく言葉を交わすことはなかったから1人だったのでしょう。ちなみに隣に座っていたのは日本人の若い女性。シートを倒そうとした程度でブチ切れるのを目の当たりにしてきっと怖かったに違いありません。
私もドン引きしていたくらいですから」

ヤカラ系乗客から突然の口撃

 とはいえ、一連のトラブルに気づいていたのは周囲の座席に座っていたごく一部の乗客だけ。それでも「アイツやばくねぇ? 絶対アタマおかしいって」と話す者もいたようだ。声の主は米村さんの1列前に座る男性だった。

「この方も20代くらいに見えましたが、隣に座っていた友人らしき男性も『うわぁ、マジもんのクズじゃん! 俺だったらあんな舐めた真似されたらその場でボコってるわ』と言って笑ってました。トイレに行く途中、この2人をチラ見したのですが、いかにもガラの悪そうな風貌。肉体労働系の仕事をしているのか身体つきもゴツかったですし、系統的にはBreakingDownに出ていそうなヤカラっぽいオーラを放っていました」

何も起こらないまま着陸

 自分のことを言っているとBさんもわかったのか、2人を睨んだが一瞬で視線を元に戻したとか。

「見た目のヤバさに気づいたんでしょうね。Aさんに対して常軌を逸したことをしていた割に普通っぽい見た目でしたから」

 ここで新たなバトル勃発という展開にはならず、ヤカラ系の若者2人もそこまで興味はなかったのか、これ以上Bさんに関して話すことはなかった。Aさんとの間にも特に何も起こらず、そのまま着陸してしまったそうだ。

客室乗務員の対応は正しいか

「シート倒すな!」突然ブチ切れた20代男性客に機内は騒然。「普通っぽい見た目だったのに…」/機内トラブルは世界で3年2.7倍。じつは“倒しても後ろが狭くならない”座席も登場していた
※画像は生成AIによるイメージです
「10時間以上もシートを倒せなかったので相当辛かったと思います。私に注意できる勇気があればよかったのですが、さすがに矛先が自分に向いてしまうのが怖かったので……。それと気になったのは客室乗務員の対応です。Bさんには一度軽く注意しただけ。Aさんが再び相談した様子はなかったため、それもあると思いますが日系のエアラインなら対応はもっと違ったような気がします」

 いずれにしてもエコノミークラスでの長時間フライトでシート固定はキツすぎる。今回のケースのようなトラブルは滅多にないと思うが、万が一のリスクが気になれば、最後方の列にするなど対策を考えたほうがよさそうだ。


<TEXT/トシタカマサ>

*  *  *

■リクライニングは「マナー違反」か「機能」か

米村さんが目撃したBさんの振る舞いは論外として、そもそもリクライニング自体は倒していいものなのか。この点、じつは航空会社自身がわかりやすい形で答えを出しています。

たとえば全日本空輸(ANA)は、国際線B777-300ERやB787-8のエコノミークラスの一部で、背もたれが後ろに倒れず、代わりに座面が前方にスライドする「Fixed Back Shell(フィックスト・バック・シェル)」という仕様を導入しています。倒しても後ろの席のスペースを一切奪わない設計で、公式サイトでも「シートを倒さずリクライニングできるFixed Back Shellスタイルを採用。後部座席を気にすることなくリクライニングが可能に」と説明されています(出典:ANA公式サイト エコノミークラス シート・座席一覧(国際線))。

言い換えれば、航空会社側は「後ろの人に気を遣わずに倒せる」ことをわざわざセールスポイントとして掲げているわけです。通常のリクライニングシートについても、その裏には「本来、倒すことに気兼ねなど要らないはずのもの」という前提があるとみて、まず間違いありません。

鉄道会社の立場も基本的には同じです。JR北海道の公式FAQは「急に倒すと、後ろのお客様が驚いてしまう場合や、深く倒すと圧迫感から、不快に感じるお客様がいらっしゃいます。後ろの方へ確認していただくようご協力をお願いします」(出典:JR北海道 よくあるご質問)と、あくまで“配慮のお願い”のレベル。「倒すな」というルールは、どこにも存在しません。

離着陸時など「安全阻害行為等の禁止事項」で明確にNGとされているタイミングを除けば、水平飛行中に倒すこと自体は乗客に認められた使い方であり、原則としてルール違反ではないのです。“倒すな”と後ろから命令する権利は、そもそも他の乗客にはないわけです。


■世界でも、日本でも起きている機内“沸騰”

とはいえ、感情の問題は別。冒頭で触れたIATAの数字をもう少し細かく見てみると――

・2021年:835便に1件
・2022年:568便に1件(2021年比 約1.5倍)
・2023年:355便に1件(2021年比 約2.4倍)
・2024年:307便に1件(2021年比 約2.7倍)

と、機内迷惑行為の発生率はきれいな右肩上がりで悪化しています(出典:IATA Unruly Passengers)。世界140社超の航空会社から集まった9万件を超える報告に基づく数字で、内訳の上位は「乗務員の指示に従わない」「機内や洗面所での喫煙・電子たばこ」「暴言」「シートベルト着用指示の無視」「持参アルコールの摂取」など。

そして、日本の空でも他人事ではありません。2020年にはコロナ禍の国内線機内で、マスク着用を求められた乗客が客室乗務員に暴行を加え、機を新潟空港に緊急着陸させる事件が発生。この乗客は威力業務妨害や傷害などの罪に問われ、大阪地裁は2022年12月に懲役2年執行猶予4年の有罪判決、翌2023年10月には大阪高裁も控訴を棄却しています。「客室乗務員に手を出す」「機を緊急着陸させるほど騒ぐ」というレベルまでいけば、日本の裁判所はきちんと刑事責任を認める、ということです。

もちろん、Bさんの「シート倒すな!」は言葉と足だけで済み、事件化はしていません。ただ、あと一歩踏み込めば――たとえば米村さんに直接手を出す、乗務員の制止に従わずさらに暴れる――そうなれば同じ航空法や刑法の暴行罪、業務妨害罪の射程内に一気に入ってきます。「たかがシート倒された」で押し切るには、ずいぶん重たいカードがすぐ隣に積まれている場面だった、ということでもあります。

■結局、大人ができること

米村さんが最後に語っていた「私に注意できる勇気があればよかった」という言葉は、正直な感想として胸に残ります。ただ、乗務員が一度注意しても収まらないほどキレている相手に、一般の乗客がひとりで立ち向かうのは、現実にはかなり難しい。そんなときは無理をせず、乗務員をもう一度呼ぶ、離れた席への移動を相談する――といった“乗務員を通す”対応が、いちばん安全で確実なようです。


見た目は普通、でも中身は常軌を逸していた若い日本人男性。10時間以上のフライトを、シートも倒さず、恨みを募らせながら過ごした彼が、いま何を思っているのかはわかりません。ただ、リクライニングというたった一つのボタンをめぐって、ここまで人は沸騰できるのだ――ということだけは、覚えておいて損はなさそうです。

<再構成/日刊SPA!編集部>

【トシタカマサ】
ビジネスや旅行、サブカルなど幅広いジャンルを扱うフリーライター。リサーチャーとしても活動しており、大好物は一般男女のスカッと話やトンデモエピソード。4年前から東京と地方の二拠点生活を満喫中。
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