トランプ大統領と「笑顔でツーショット」に波紋

 トランプ大統領への大谷翔平選手の対応が議論を呼んでいます。前年度のワールドチャンピオン、ドジャースがホワイトハウスに表敬訪問した後、大統領執務室でトランプ大統領と笑顔でツーショット写真を撮ったことに批判が集まっているのです。

 少数民族に対する差別的な言動や政策や、イランとの戦争を遂行するトランプ大統領に対して、大谷選手があまりにも無批判で、世界情勢への認識が欠けている、というのが大方の意見です。


 ベッツ選手やヘルナンデス選手など、一部のメンバーは出席を見送ったとの報道もあり、ジャーナリストの江川紹子氏は「あまりにも残念。大谷さんもそうすればよかったのに」と、自身のX(Twitter)アカウントに投稿しました。

 こうした意見からは大谷選手への落胆がうかがえます。時代のロールモデルであるはずの人物が、公序良俗に反するとされるトランプ大統領に全く警戒感もなく接近している様子が受け入れられないという心境なのでしょう。

大谷翔平を批判することは“筋違い”、でも…

 だからといって、彼を批判することは全くもって筋違いです。そもそも今回の表敬訪問はメジャーリーグの恒例行事であることも事実です。トランプ大統領との面会は2度目であり、その前にはバイデン前大統領とも面会しています。つまり、大谷選手にとっては、こなすべき公務のひとつに過ぎないという前提は押さえておく必要があります。

 とはいえ、トランプ大統領はスポーツの世界でも物議をかもす存在であり、先のワールドカップでも政治介入と受け取られかねない言動をしてきました。実際にサッカーのスペイン代表やアルゼンチン代表の中には、握手を拒むかのように振る舞う選手もいました。それはどのような意図であったにせよ、ある種のメッセージとして全世界に配信されました。それに比べると、大谷選手が無防備すぎるという指摘がされるのは仕方ない面はあります。

 しかしながら、そうした客観的な分析を超えて、大谷選手の屈託のない笑顔に不安を覚える人たちがいるのはなぜなのでしょうか? 大谷選手のように大きな存在だからこそメッセージを発して欲しかったと、なぜ嘆くのでしょうか?

 なぜ、MLBのただの恒例行事に、こうもエモーショナルになってしまうのでしょうか?

「思うような人物ではなかった」と落胆するのは“独りよがり”

 そこには、偉大な仕事をする人間は、それ以外の面でも同様に偉大であってほしいという思い込みがあります。
つまり、こちらの想定した善を対象に投影しているのです。たとえば、美しい曲を書くミュージシャンが素敵な人柄であってほしいと思いたがるのと似たようなものです。

 しかし、大谷選手はただの野球選手に過ぎません。超一流の投手であり、ホームランバッターであることが、政治的に正しいとされる態度を取ることを約束するものではないのは当然のことです。スペインやアルゼンチンのサッカー選手が取った行動を、彼も同じようにできるとは限らないのです。それゆえに、大谷選手がノンポリだとか、右寄りだとかと批判するのもお門違いでしょう。

 にもかかわらず、自らの設定したプロット通りに動かなかったからといって、勝手に大谷選手にがっかりしているのです。これは独りよがり以外の何物でもありません。

 もちろん、大谷選手に知的に成熟したアスリートとなってほしいという期待を込めての苦言という向きもあるでしょうが、それは余計なお世話であり、ないものねだりです。ピッチャーとバッターで頂点を極める人間に、さらに“政治的に正しい”振る舞いという三刀流まで求めるのは、あまりにも酷な話です。

 大谷翔平は、投げて打って走っていればいいのです。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。
『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
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