―[今野忍の政治裏読みガイド 永田町[壁耳]ノート]―

ロシア・サハリンで北海道新聞の記者がスパイ容疑で拘束されてから約2週間、なぜ記者は今なお拘束されたままなのか? 元朝日新聞政治部記者の今野忍氏は「メディアも世論も、記者を取り返すために声を上げ続けるべき」と話す。
ロシアで拘束された北海道新聞記者。「世論が黙れば記者は帰らな...の画像はこちら >>

映画のワンシーンのような道新記者の拘束・移送シーン

10月13日、北海道新聞の記者が極東サハリン州でロシア連邦保安局(FSB)によって拘束されたことが明らかになった。ロシア側の言い分は「日本の情報機関の指示で、防衛に関する情報を集めていた」。


いやいや、ちょっと待ってくださいよ。道新ですよ? 政府に厳しい論調で知られる、言ってみれば朝日新聞の親戚みたいな新聞です。そこの記者が高市政権の手先になってスパイをやっていた? 荒唐無稽すぎて、冗談にもなりません。

この記者が書いた記事を読んでみた。街を歩いていたら、北朝鮮から出稼ぎに来た労働者にタバコをせがまれた話。日本時代の製紙工場の跡が取り壊され、歴史が消えていく話。稚内とサハリンを細々と結ぶ船の話。どれも街の空気を丁寧に拾った「街ダネ」なんですよ。

しかも、捕まったのは出国を目前にしたホテルの部屋。そこには大きなスーツケースがあったと報じられている。荷物をまとめて、さあ帰ろうというところをやられたわけ。

驚いたのは、ロシア国営テレビが流した映像だ。
黒ずくめの覆面の男たちが部屋に踏み込み、床に組み伏せて手錠をかける。飛行機に乗せられる場面、モスクワの法廷の檻の中にいる場面まで、ご丁寧に撮ってある。まるで映画のワンシーンだ。

しかも、拘束が発表されたその日には、もうモスクワの裁判所が2か月の勾留を認めていた。最初から筋書きができていた、と見るのが自然でしょう。

そもそもサハリンってどんなところなのか? ちょっとおさらいしましょう。

北海道の宗谷岬からサハリンの南端まで、たったの約43キロ。東京から鎌倉くらいの距離だ。晴れた日には肉眼で見える。

1875年の樺太・千島交換条約で、樺太はロシア、千島列島は全部日本、と線が引かれた。この樺太は、サハリンの旧日本名。その後、日露戦争に勝った日本が1905年に北緯50度から南を手に入れる。
ここが「南樺太」で、最盛期には40万人ほどが暮らしていた。

ところが1945年8月、ソ連が攻め込んできた。日本はサンフランシスコ平和条約で南樺太を放棄したが、ソ連はこの条約に署名していない。だから、日本政府の地図では、今も南樺太は「帰属未定」で白く塗られている。

だから、道新はここに支局を置いている。お隣の島は、北海道にとって「地元」なんです。

じゃあ、なぜ道新の記者を捕まえたのか。先日対談した元駐オーストラリア大使の山上信吾さんは「見せしめ」だと断じていた。

もう一つのヒントは、2023年にロシアで捕まった米ウォール・ストリート・ジャーナルのゲルシコビッチ記者だ。その彼が今回、産経新聞の単独インタビューに応じている。取材相手から数枚の資料を受け取った瞬間、FSBの職員がなだれ込んできて、「はめられた」と悟った。そして、自分は「交換要員」だったと確信している、と。
今回の道新記者についても、拘束そのものが目的ではなく「ほかの要求を通すため」だろう、と語った。

日本は交渉のカードを失っている可能性がある

ゲルシコビッチ記者は懲役16年の判決を受けたが、拘束から16か月後、米国やドイツが捕まえていたロシアの工作員らとの身柄交換で、ようやく解放されている。ロシアの刑法では、スパイ罪は禁錮10年から20年。交換がなければ、人生の一番いい時期をまるごと塀の中で過ごすことになる。

実は、ここに見過ごされている伏線がある。

今年5月、大阪のホテルでロシア国籍の男(28)が拘束された。ハッカー集団の関係者とされる人物だ。日本はこの男を10月初め、ドイツに引き渡した。道新記者の拘束が発表されたのは、そのわずか11日後のこと。

偶然かもしれない。でも、もし意趣返しだとしたら? 日本は数少ない「カード」を、もう手放してしまっている可能性がある。しかも、日本にはスパイを捕まえて重く罰する法律、いわゆるスパイ防止法がない。
差し出す駒がないから、自力で取り戻すのが難しい。

日露の領事条約では4日以内に面会させる決まりなのに、書類の不備を理由に1週間たっても会わせてもらえなかった(拘束から13日後の10月26日に在露日本大使館員が領事面会を実施したと外務省は発表)。完全になめられています。

僕は朝日新聞で防衛省を担当していた2014年、日米ガイドライン(日米防衛協力の指針)の見直しを取材していた。案の段階の文書なんて、省内じゃ受け取れない。だから幹部の自衛官と市ヶ谷の駐車場で待ち合わせて、こっそり手渡してもらったことがある。受け取るときは、こっちも心臓バクバクだ。

日本ではこれが記者の仕事。でも、ロシアなら一発で「スパイ」にされかねない。

ゲルシコビッチ記者は、「ロシアは日本の記者ならアメリカほどの反発はないと踏んでいるかもしれない」とも語っている。だからこそ、日本のメディアと世論が報じ続けることが大事なんだ、と。

ところが、この件に関する日本のメディアの報道は少ない。
あまりにも少なすぎる。ロシアが「日本は騒がない」と読んでいるなら、僕らはまんまとその読みどおりに動いていることになる。

だから、僕たち記者も、読者のみなさんも、とにかく声を上げて、世論を盛り上げていかなきゃいけないんです。

この原稿が載る頃、事態は動いているかもしれない。でも一つだけ、はっきりしていることがある。世論が黙れば、記者は帰ってこない。

ロシアで拘束された北海道新聞記者。「世論が黙れば記者は帰らない」元朝日新聞・今野忍が暴くスパイ容疑の裏側
撮影/初沢亜利
「壁耳」とは?
政治記者が稀に行う、壁に耳を押し当てて非公開の会議・会合の内容を探る取材手法。「聴診器を使う先輩もいた」(今野氏)という

―[今野忍の政治裏読みガイド 永田町[壁耳]ノート]―

【今野忍】
1975年生まれ。アクセンチュアを経て、朝日新聞記者に。'09年に政治部配属となり、菅義偉氏や岸田文雄氏の番記者などを経験。’26年に独立
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