女優の中尾有伽(28)が、歌手の研ナオコ(71)とダブル主演を務める映画「うぉっしゅ」(岡崎育之介監督)が2日に公開される。認知症の祖母と、突然その介護をすることになったソープ嬢の孫の交流と葛藤を、ポップに描いたヒューマンドラマ。

ソープ嬢を演じた中尾は「自分のやっている俳優という職業との共通点を見つけた」と語った。(瀬戸 花音)

 「人生で忘れたくないものは何か?」との質問に、「この作品です」と即答した中尾。その言葉に、本作への思いがこもっていた。

 中尾が演じたのはソープ店で働いていることを家族に隠しながら、認知症の祖母の介護を引き受ける主人公・加那。「単純に、自分が今まで経験したことのない職業の役というところに難しさを感じました」と率直な思いを口にした。

 「例えばスポーツ選手の役だったら、実際にそのスポーツをやってみる役作りの方法があると思うんですが、私はソープ嬢をやってみることができなかった。後から考えればできれば良かったなとも思ったんですが…。自分のやっている俳優という職業との共通点を見つけて、それで結んで、演じていました」

 俳優とソープ嬢の共通点は、自身で見つけ出したという。

 「俳優の一側面でしかないですが、やはり人気商売というのがある。オーディションに受かったり落ちたり、飲みの席で誰が良かった、誰が良くなかったという話にもなります。他者からの視線をものすごく感じるということと、人に対して演じるという部分。そこを(ソープ嬢と)つなげて、加那を作りました」

 「自分はダメだなってすぐ思っちゃう」という中尾の言葉には、常に繊細な雰囲気がにじんでいた。

それでも「他者からの視線を感じる」ことは中尾にとって役者を続ける糧ともなる。作中、自身の仕事を「美しい」と言われ、泣いてしまいそうになった加那とも重なる。

 「自分ではない他者が、自分のことを見てくれているというのが、自分の支えになっているのだと思います。きっと加那もそうなのではないかと思います。私のことを『良い』って言ってくれる人、毎日出会う人たちによって自分は作られているし、そういう人たちががっかりしないような自分でいようと思っています」

 研とのダブル主演。研の第一印象については「テレビで見ていたスーパースターと自分が演じるんだという驚きが強かったです。本当にばかみたいで申し訳ないんですけど、『あ! 研ナオコだ!』って思ってしまいました」と笑う。認知症の祖母を演じる研自身は「私は役者じゃないから」と言っていたそうだが、撮影でその意味が分かった。

 「祖母が少し物事を思い出すシーンで、その時の話し方がオフの時の研さんそのものなんですよね。それで、加那は『おばあちゃんが帰ってきた』って思うわけですが、私自身も『研さんが帰ってきた』って思ったんです。研さん自身の生き方というか、自身の存在がそのまま役に投影されている。だから、私も自身と重ねて、感情を引きずり出されてしまいました」。

研とのラストシーンでは、加那としてだけでなく自身としても「なんだか、とても泣いてしまいました」と振り返った。

 どんな役者になりたいか。長考に沈んだ中尾は「役者が作るのはすべて“うそ”のこと。だけど、その中でもなるべく、“ほんとう”のことをやりたいんです。そこに“ほんとう”にいる人になりたい」。迷いながら答えた後、「答えになっていますかね?」と柔らかくはにかんだ。中尾はこれからも人と人とのつながりの中で生きていく。

 ◆中尾 有伽(なかお・ゆうか)1996年9月13日、東京都出身。28歳。高校時代、所属した軽音楽部でのライブ動画がキャスティング会社の目に留まってデビュー。2016年に講談社主催のオーディション「ミスiD」大森靖子賞受賞。現在はフリーで俳優・モデルとして活動する。

 ◆「うぉっしゅ」 ソープ店で働く主人公・加那(中尾)にある日、母から一本の電話があり、1週間だけ祖母・紀江(研)の介護を頼まれる。加那はソープ嬢ということを隠したまま、実家とソープ店を行き来することに。客と祖母、人の体を洗い続ける二重生活が始まる。祖母は認知症が進んで孫の名前すら覚えておらず、毎日が“初対面”。「どうせ忘れる」祖母を相手に、本当のことを素直に打ち明けている自分に気付く加那。一方、知らなかった祖母の過去も垣間見えてくる。115分。

◇岡崎育之介監督 祖父・永六輔さんを「今もずっと知ろうとしている」

 本作の監督を務めるのは岡崎育之介氏。1993年生まれ、東京都出身の監督は、2016年に亡くなった放送作家・永六輔さんの孫だ。

 岡崎氏は祖父の印象を「とにかく怖かった。子供の頃の僕からすると、放送作家のすごい人とかは分かってなくて、ただずっと書斎にこもっていらっしゃる人っていうか(笑)。それで、孫らが騒ぐと叱りつける。

『何でこんなずっと怖いんだろう?』と思ってて、叱ってくるおじいさんって感じでした」と振り返った。

 16歳から芝居の勉強を始め、18歳で俳優としてデビューした。その後、バックパッカーによる世界一周、国立劇場養成所での研修生としての修業、ニューヨークアクターズスタジオでの演技訓練を経験。演出助手や脚本学校での学びを経て、作品制作活動を始めた。「自分もこの業界に入ったことで(永さんを)知らざるを得なくなった。今もずっと(永さんを)知ろうとしている。知り切れていない感覚がある」と祖父の存在は日に日に大きくなっている。

 監督としては長編映画は本作で2本目。「これからも監督、脚本業をやっていきたい。特に脚本を書くのが好きです」と映画人としての歩みを進める。

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