シンガー・ソングライターの山下達郎(72)が今年でデビュー50周年を迎えた。4月23日には、自身が活動していたバンド「シュガー・ベイブ」時代に制作したアルバム「SONGS」を50周年記念盤として発売した。
(松下大樹、高橋誠司)
山下を中心としたバンド「シュガー・ベイブ」が、1975年にリリースした伝説のアルバム「SONGS」。一時は行方不明になっていたマスター音源が見つかったことで、1994年、ボーナス・トラックを加えてCD化した。活動30周年となる2005年以降は、10年ごとにボーナス・トラックを加えて記念盤をリリース。今年も活動50周年を記念した記念盤を制作した。
特に、15年にリリースした40周年盤は「究極なんです」と言うほどの完全体。そのため、今回は制作に頭を悩ませたという。「まさか、50周年で出ると思ってなかった。いろいろ考えました」。最終的には、94年のライブ音源をボーナス・ディスクにすることで決定。自身36年ぶりとなるライブ作品を加えることで落ち着いた。
“シティーポップの金字塔”として、50年たっても聴かれ続けている「SONGS」だが、偶然が重なり合った奇跡の産物だった。
「新宿の雑居ビルの2階で天井が低くて、湿気むんむんで、ピアノの弦に水滴がたまってるんじゃないかって、そういう世界で。機材も全然充実してなくて、本当に大変だったんですよ」
レコーディング作業は、所属していた「ナイアガラレーベル」を主宰する大瀧詠一さんが行うはずだったが「そこのエンジニアが卓(レコーディング機械)を触らせないと言って…」とトラブルまみれ。「良い思い出がほとんどない。環境が悲惨だったんで、せめて曲だけでも聴いてくれって意味で『SONGS』ってつけたんです」と苦笑いした。
しかし、これが結果的に歴史的作品を生むこととなった。「そういう環境でやったおかげで、当時の他のレコーディングとは全く違うアプローチになっている。ネガティブと言える要因が積み重なって、結局これしかない音が生まれたんです。この時代にこんな音、他にないんです。完全に偶然なんですけど、これが50年持った理由かなと。僕の音楽のテーマは『都市生活者の疎外』で50年やってきてるのだけど、その一番ピュアな部分ですね」
中学の頃から洋楽を浴びるように聴いていたが「音楽家になろうとは思ってなかった。
vシュガー・ベイブは「SONGS」発売の後、翌76年に解散し、山下は初のソロアルバム「CIRCUS TOWN」を発表。以来、「音の職人」として、数々の名盤を生み出してきたが「いつも、アルバムを作ると超落ち込むんです。なんてもの作っちゃったんだろう、これで俺の音楽人生も終わりだって」と打ち明ける。「基本的に自分が作ったものは1年は聴きません。いまだに怖くて聴けない。『また傑作できちゃった、俺って天才』っていう人もいるんですけど、僕は全く違う。
この50年で貫いたものを問われると「自分の人生で音楽だけは嘘(うそ)をつかなかった。これが全てですね」と即答する。「なぜ音楽やってるかと言うと、中学のときから自分の孤独とか疎外感とかを感じた中で、本当のものだと思ったのは音楽だけだったから」。柔らかかった目つきが鋭くなった。
音楽家としての道をスタートさせるときに決めたことがある。「お金を儲(もう)けるためだけに音楽をやることだけはやめようと」。イベント営業やディナーショーには手を出さない。「すごく小さなプライドですけど、僕は基本的にレコードの印税とライブツアーのギャランティーでしか食べてこなかった。そうじゃないと汚れてくるんですよ」
今も精力的に続けるライブ活動。そこに関しても「誠実じゃないものだとダメですよ」と語気を強める。
音響面でライブの会場選びにもこだわり、テレビ出演も断ってきた。「自分の身の丈以上やると無理になるから」。山下なりの音楽に対する誠実さ故だった。その姿勢は多くの人に響き「おかげさまでお客が来てくれる。ありがたいことですね」と感謝も忘れない。
今年で72歳。
それでも、最近になって調子が良くなってきたと声を弾ませる。「コロナになってお酒を3か月くらい控えてたら、声のコンディションがすごく良くなった。やめてから2年になりますけど、特にライブの声のコンディションが改善されて、もうちょっと持つかな」と手応えを明かした。
質問に答えながら自身の人生を振り返ると「自分は幸運か不幸かで言うと意外と幸運だなと。出会いにも恵まれたし、感謝しないといけない」とかみ締めた。その恵まれた出会いを語る上で、妻の竹内まりや(70)の存在は避けられない。結婚から43年。「金婚式はすごいんだなって思いますよね。あと7年もあるんだから」と目を細める。
これまで、大げんかをしたことはないという。「一番重要なのは会話なんです。基本的に人間って言葉でしかコミュニケーションできないから、以心伝心はない」。感情論や揚げ足を取るような言い合いはしない。「徹底的に言語でつき詰めるしかやり方はないんです。そういうやり方で四十何年やってきてる。それ以外に人間の意思疎通はない」と力強く説いた。
半年前の本紙の取材で、まりやが「達郎に対して圧倒的なリスペクトがある」と話していたことを伝えると、照れ隠しなのか「大体ね、リスペクトとか嫌いなんですよ、僕。東京の人間だからそういうの口にするの嫌いなんです。そういうことを東京の人間に聞かないでください」と笑い飛ばした。
「アイドルですら還暦の人がいるくらいで、良い時代になった。歴史のスパンが明らかに伸びている。僕は良いことだと思いますけどね」とうなずき、今後も作品づくりに意欲を見せる。「もう1枚か2枚くらいはアルバム出したいなって思ってるんですけどね」。今は89年に発売したライブアルバム「JOY」に続く「JOY2」の発売に向けて準備中。「とにかく、僕のお客がライブアルバム出せってうるさいので…」と冗談交じりにぼやきつつ、どこか楽しそうな表情も浮かべた。
新曲に関しても「デジタル録音になって、今が一番良くなってきている。音が良くなったので創作意欲が出てきた」と前のめり。「まだ詞はないですけど、曲はあります」。これまでと同様、誠実な音楽を追求していく。
◆山下 達郎(やました・たつろう)1953年2月4日、東京都生まれ。72歳。75年、バンド「シュガー・ベイブ」の一員としてデビュー。76年、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビュー。82年、歌手の竹内まりやと結婚。