元ジョッキー、元調教師でスポーツ報知評論家の小島太さん(78)が自身初の自伝「賞賛と罵声と」(講談社)をあす7日に発売する。その中で2023年からステージ4の肺がんの治療を続けていることを告白。

病気を公表することになったいきさつや、調教師時代に管理したイーグルカフェでNHKマイルC(2000年)を勝った時の知られざる秘話を語った。(聞き手・西山 智昭)

 ―「賞賛と罵声と」を発表することになった経緯を教えてください。

 「この年(オファー当時76歳)でこんなお仕事をさせていただけるとは想像もしていませんでしたが、気づけば半世紀以上、何らかの形で競馬に携わってきましたし、自分の競馬人生をじっくりと振り返ってみるのも良いかなと。いろいろとあって予定よりだいぶ時間がかかってしまいましたが、無事に形になってホッとしているところです」

 ―肺がんのことを書かれていたのは衝撃でした。

 「最初に判明したのは23年の1月。『まさか…』という感じでした。複数の病院で精密検査を受けましたが同じような結果で、最初はなかなか受け入れられませんでした。周りに余計な心配をかけたくなかったので、本当に限られた人にしか伝えませんでした」

 ―本を通じて公表することになったのは、心境の変化があったからですか?

 「治療を進めていくうちに、私と同年代だけではなく、私より若い方でも、がんだけではなく、いろいろな病気で苦しんでいる人がいることを知りました。実際に自分がそういう状況になって大変さが身に染みて分かりましたし、公表することで、少しでも『同じような境遇の人たちの励みになるなら』と考えるようになりました」

 ―今も治療を継続されているのですか。

 「定期的に検査、治療を行っています。主治医の先生とも話し合いながら、過度に我慢はせず、やりたいことをやりつつ、という感じです。週末は全レース見ていますし、育成牧場に足を運んで馬を見せてもらったりと、競馬を楽しみながら、競馬に元気をもらっています。

たまには友人とゴルフにも行っていますよ」

 ―名馬の話もたくさん書かれていますが、NHKマイルCは調教師時代に管理したイーグルカフェ(2000年)で勝利されています。

 「私は1997年の3月から調教師人生をスタートしたのですが、厩舎に初めての重賞(00年共同通信杯4歳S)をもたらしてくれた馬でした。当時は外国産馬はクラシックに出られなかったのでNHKマイルCを目標にしたのですが、岡部幸雄さんの完璧な騎乗もあってG1を勝つことができました」

 ―2着との差が9センチという大接戦でした。

 「課題だったスタートを上手に出してくれたし、すべてがスムーズなレースでした。ゴールした瞬間、厩舎スタッフは負けたと思ったようですが、私は勝利を確信して検量室に走りました(笑)」

 ―著書で岡部元騎手、ランフランコ・デットーリ騎手(イーグルカフェで02年ジャパンCダートを勝利)とのエピソードは大変興味深かったです。

 「昔、私と岡部さんは仲が悪いんじゃないかとか噂されたこともありましたが、とんでもないですよ。この本を読んでもらえれば、私がいかに同じ騎手として彼に憧れていたかが分かると思います。私のことを『お父さん』と呼んでくれるフランキー(デットーリの愛称)との秘話も載せています」

 ―最後に今後に向けてのお話をうかがえますか。

 「現実問題として、がんとはこれからも向き合っていかなければいけませんが、無理はせず、自分らしくやっていければと思っています。報知さんのお仕事も、引き続き精いっぱいやらせていただきます!」

 古き良き昭和の競馬を後世に伝えたい

 騎手と調教師を合わせて通算1500勝を達成した小島太さんの自身初となる自著伝「賞賛と罵声と」(税込み1650円)は7日発売される。

 オファーがあった当初は「70歳過ぎたじいさんじゃ…」と後ろ向きだったが、担当者と打ち合わせを重ねるなかで、古き良き昭和の競馬を後世に伝えたいという気持ちが芽生えたという。「今の競馬しか知らない人には想像もできないようなことがたくさんあったのが昭和の競馬。

当時の魅力を知ってもらえれば」と説明した。

 サクラショウリとサクラチヨノオーの日本ダービー馬2頭に、サクラバクシンオー、マンハッタンカフェなど、小島さんだからこそのマル秘エピソードが満載。さらに、武豊騎手とのレジェンド特別対談で知られざる2人の関係性も明かされている。

 ◆小島 太(こじま・ふとし)1947年4月11日、北海道生まれ。78歳。66年3月に騎手デビュー。サクラショウリ(78年)、サクラチヨノオー(88年)による2度の日本ダービー制覇などJRA通算1024勝を挙げた。96年2月の引退後は調教師に転身し、97年3月に美浦で厩舎を開業。01年有馬記念などG1・3勝のマンハッタンカフェなどを管理した。18年2月の定年引退までにG1・5勝を含むJRA通算476勝。

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